964カレラ です。
本日、ゲンロク誌の取材で、、。
今時分、アイコードは、タヌキの小判がザクザクと、、。
ドングリの木の枯葉が、、。
もう、吹雪の如く、掃いても掃いても、、。
何時も思います。
これが、小判であったら、、。
964に戻して、、。
オーナーさん曰く、250kmでの、コーナーの安定性が
不満、、。
ま、964は、アイメック時代、カレラは、ECUチューンと
チタンマフラーシステムと、カムシャフトなどで、
矢田部の周回路(1周4km、オーバルコースで、直線だけで
2kmありますが、バンクは、30度ありました)で、最高速
の取材を1993年くらいに行いました。
当時、他社の最高速トライでは、270km以上は、出なかった
のですが、アイメックの白い964カレラは、簡単に274km
が出ました、、。
964カレラで、吸排気やったくらいでは、当時260km
出るのがやっとの時代でした、、。
と自慢話で、横道にそれましたが、。
アライメントをしっかり変更しましたが、他の部所を点検
したところ、フロントロアアームのゴムブッシュに亀裂が、。
絵は、ウレタンで、ブッシュを交換しました。
これが結構エエンです。
さあ、オーナーさんの意見はどうでしょうか、、。
そして、アタシの過去の自慢話が始まった、、。
1993年のゲンロク誌 半年分、、。
1993年の半年間、964カレラをチューニングして、
250PSから309PSにパワーアップ、、。
矢田部を274kmという最高速樹立したというお話、、。
これから、ゲンロク誌でのロングタームシリーズが始まった
って、感じ、、。
当時は、アタシも調子にのっていたので、わざわざドイツ
くんだりまで出張し、ポルシェパーツ販売で当時から
新進気鋭の”FVD” ビリー、ブロンバッハ氏のところに
行って、パーツを購入してました。
その縁で、長男坊は、ビリーさんの自宅に長期滞在し、
あげくには、ドイツに住んでしまいましたが、、。
ということで、アタシたちは、頑張ったのです。
つづく。