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上記ブログを見てください。
藤原氏(カーマガジンなど編集長でした)が、先日筑波に現れた生沢氏の
最近の同行を取材したものです。

生沢氏は、ツルタのかっての上司(社長のような)ですので、日本での行動は
ある程度把握してますが、勝手にブログなどに載せるなと未だに上司と部下の
関系、、、。

面白い情報いっぱいありますが、自分からは出せません。
今回は、藤原氏が公開されたので、それも御大将の許可を得て掲載しました。

今後の活動について、、。
おっと又、余計なことを、、。

絵は、1973年3月13日、自分が学生時代広島から手弁当で上京、マシン作りの
お手伝いしました。
シグマ(現サード)にて国産マシンとして生沢氏が当事の花形”グラチャンシリーズ初戦に初出場、ポールポジションという快挙でフジスピードウェイに登場したマシン、GC73です。
当事、フジは30度バンク、、。
豊田市から行く前に1wくらい、徹夜の連続で、フジに行く途中のサービスバンで
上司であります栗谷氏(故人)を助手席に乗せ、、、、。
東名高速(その時初めて運転しました)を眠くて、パーキングの橋渡し状態で、
すべてのパーキングに途中、休憩した思いであります。

その時、栗谷氏(トヨタ7などのチーフメカ、成瀬氏と同僚)は、”眠い時は、
右の目を瞑って左の目で運転すれば、半分眠れる!”などと、徹夜明け時の
運転方法を伝授していただき、今も活用させていただいてます。

話が長くなりますが、この車両自分がサードの加藤社長からあとで頂いたのですが、
東京出張中、誰か(分かっておりますが)に持っていかれました、、。

つづく。