e7e4be4f.JPG自分が生沢さんのGRD、S72の整備の手伝いをさせていただいてた当事の、安田さんといって今は、亡くなられましたが、面倒見の良い方がおられました。よくそこのおうちに泊めてもらってました、、。

その安田さんは、そのGRDのエンジンをメンテナンスしてまして、その傍ら聞いたお話ですが、生沢さんが乗るGRDのクラッチは、ボーグ&ベックといいましてツインディスククラッチでした。
まだ、クラッチなどシングルプレートしか知らない時代で、要は、その当事のF1から流用されてたものですが、クラッチ板は、アスベスト材で出来ており、無茶な使用には、イッパツで磨り減ってしまうような物でした。

その当事でも普通は2~3レース目で、交換する消耗品でしたが、”徹ちゃんは、グラチャン1年分もたすんだよ!”と言ってました。
彼は、ヨーロッパF2時代の貧乏レース時代にイヤというほ程、金に苦労されたそうです。
ですから、パーツの消耗にも気を使い、丁寧な乗り方を覚えたんだそうです。

ちなみにその車両GRDのデザイナーの一人は、現在、ノバの森脇さんです。
そう、F1解説者の、、。

73年に一度、其の当事のグラチャンにイギリスよりはるばる参戦されてまして、其のときのドライバーは、バーン、シュパンさんでした、、。
シュパンさんの走りをフジのピット裏から当事レース中に見てたことがあります。
自分たち、シグマ軍団(生沢さんと高橋晴邦さん)は、とうにリタイヤしてましたので、、。
やること無しで、観戦してました、、。
速かったです、、。コーナリングも他と違うラインで、、。
また、印象に残ってるのは、ドッグミッションですが、シフトアップの速いこと、、。
シュパンさんは、その後日本のトラストティームに所属し、956で破竹の連勝をしてました。そう。其の当事、ノバの猪瀬さん、森脇さんのメンテナンスでしたので、、。
もう、こんな話してたらキリありません、、、。

絵は、自分も担当してましたGRD,S72です。シグマ時代のカラーです。
其の当事、S72とシグマGC73の2台出てました。
それにMC73のルマン用と、、兎に角、1日、24時間のうち、寝れたのは3時間くらいか、、。兎に角、自分の体汚かったです。インキンタムシもたまたま入れたフジの泥水お風呂でもらいました、、。
つづく。