生沢さんは、色々なところで評判になっていましたが当時自分が直接会って感じたことをお話します。
彼は、其の当時色々な雑誌の紙面を賑わしていました。
特に性格は、冷静、沈着で非常にニヒルである、、。ゴルゴみたい、、。
媚を売るわけでもなく、世界中をレースで飛び回りその資金もどこからかスポンサーでもいるのか豊富である。そお、金持ちの道楽の延長みたいな、、、などなど、取材によっては、かなり手厳しい印象で書かれてることもありました。
自分は、そんな印象も持っていましたが、やはり一匹狼的な彼のスタイルは、凡人などには当時など理解も出来なかったでしょう。
海外にそれもまだ、1ドル、360円の時代で東洋の国からやって来たレーサーにヨーロッパでは、まだまだ馬鹿にされていたと思います。
そんなことなど、おくびにも出さず行く先々で好成績を出していくのですから、今の感覚では想像も出来ないありとあらゆる難問が待ち受けていたと思います。
自分が、一番印象に残っているのはスポンサーに対する対応です。
彼は、そのGC73という国内用グラチャンマシンのカウルにスポンサーステッカーを貼っていくのですが、そのセンスもさることながらスティッカーの貼る位置をコンベックス(巻尺)と物差しを使ってミリ単位でバランスを取り、器用に貼っていくのです。
そしてあの1968年のグランプリでレースゴール後すかさずペプシコーラを手に掴みアピールしてました。プロ根性とスポンサーさんへの気の使いようを自分はその時覚えました。
彼は、お金などありまるくらい持っていてヨーロッパではレース参戦で余裕の活動であるようにその当時は、雑誌に書かれてましたが、実際は国内でスポンサーを一人で探し、アピールして予算を獲得されました。決して楽ではなかったのです。
それが証拠に、これはも一つ感動したことですが、彼が走行したとき全てマシンに対する労わりはすごいの一言でした。
つづく。