003c244e.JPGレクサスIS-Fばかりの連日に批判も出てき始めましたので、ここでポルシェの情報をイッパツやります。

1972年、11月の月末に近いある日、自分は、学生でしたが意を決して広島からその当時特急と新幹線(岡山までしか、、)で、はるばる東京、世田谷の生沢邸にいきなり、訪ねていきました。
”生沢さんの弟子にしてください!”と、一言の為に、、、。

応対してくださったのは、おばあちゃんでした。
”徹ちゃんは、弟子は取らないと言ってるから、、ね!”
駄々をこねて居座ってる自分を哀れに思ってか、
”それなら、横山 達さんを紹介しましょうか、、!”
そんな方の弟子ではダメなんです、、などと、多分相当おばあちゃんを困らせた自分でした。
で、おばあちゃんは、一計を案じてか自分に徹ちゃんが大事に着ていたものだからと
1枚の黒の皮ジャンをくれました。
何故か、それ以上無理押しするのも迷惑だと、やっと感じ取りお礼を言い、突然の無礼を謝り、退散しました。

結局、その後、渋谷のNHK放送センター裏、駐車場で劇的なシグマオートモーティブ(現サード)加藤社長以下、小野氏、栗谷氏と共に国産初のルマン24Hレースに参戦したMC73に出会うのですが、、。もちろん、生沢氏とは翌年シグマにて国内参戦のグラチャンシリーズのGC73製作とレース手伝いで初めてお会いするのです。
サーキットでは、自分は、皆もそうですが連日の徹夜で朦朧としながら作業してまして、モタモタとしながら右ドア付近で何かミスしたんでしょうが、横におられた生沢氏は、レース前のピリピリと相まってカチンときたんでしょう、、。
”こら、そうじゃねーだろう!”などと叱りながらケリを一発くらったのを覚えてます。まあ、青春の青い思い出なんちゃって、、、。

それから、数十年経ち、東京、幕張のモーターショーで、ばったりお会いしました。
といっても、生沢さんは、覚えていなかったと思いますが、兎に角再開しました。
で、ひょんなことから、旧アイメック時代に製作、ニュルブルクリンクまで持っていった、2代目エスティマのエアロKITなど購入していただき、今日に至ってます。

それで、”10月25,26日、モテギで910に乗るんだけど来る!”なんて言われたもんですから、行かないわけにはいけません。

前回にもこの910については、ブログに書きましたが、自分にとっても思い出深い車両です。
自分の友人であるY氏の持ち物で、大阪のT氏が共同オーナーになって、、。
Y氏は、1979年にこの貴重な910がアメリカに渡りそうになるところを購入したんだそうです。
つづく。