49b4a897.JPG今回、ターボKITなる物をドイツから購入しました。
最高出力720PS以上、トルク90以上のモンスターであります。
国産車では、弊社でも1,000PS近くのエンジンチューニングは行ってますのでそんなに驚くほどのことではないのですが、ポルシェの場合、低速から高速まで全域での使用が大前提であります。

ドラッグ仕様の国産エンジンと違い、10万キロくらいは平気で走ってもらわねば困ります。
パーツが届いて、そのパーツの組み立てにドイツ人のメカニックも派遣するとのこと、、、。
まあ、ドイツ人のお手並みを拝見するかと待ち構えてました。
2人のチャキチャキドイツ野郎が、その日、朝8時頃中部国際空港に到着、弊社の伊藤がお出迎え、、。
そのまま、弊社までご同行です。
ホテルのチェックインもせず、弊社でコーヒーを1杯飲んでから、話し合いに入りました。

どのようなスケジュールでいくか!
1人は、47歳ジャックといいます。もう一人は、マーティン(彼はオーストリア人でした!)。
ジャックと話し合って色々決めました。
彼は、このような仕事を請け合いあちらこちらに出かけてるようです。
シュトットガルト在住でポルシェ、ボッシュとの関係は強いようでした。
ヨーロッパでは、アメリカもそうですがECU(エンジンコンピューター)の内容は、ある程度開示されてます。

それで日本のデンソーさんは、秘密のECUを開示したくないのでヨーロッパでは、ECUをボッシュに変更されてます。チューニングし放題のトヨタ車、、、、!

まあ、それは、冗談にしてもジャックは、話せば話すほど凄い奴でした。
かなりレースも経験してました、これも運命か、自分が1994年ルマンでサード、のピットにいた時、その3つ隣のフランツ、コンラッド(フランス人でポルシェカスタマー))のピットで仕事してたと言いました。

なぜなら、その時のトヨタ94CV(V8ターボ)とダウワーポルシェ(この年から962Cは使用禁止となりポルシェは、ダウワー氏のもと個人名の962C改造車、GT1をエントリーしました、内容は、ポルシェファクトリーですが、、)のことを良く覚えてると言ったのです。
彼、ダウワー氏とはやはり因縁があります。1988年自分がサードMC88のお世話をしていた時、ドイツからダウワー氏が自分らの車両でフジのCカーレースにスポット参戦したのです。
そのときの同僚はマーティン、ドネリー(その時ヨーロッパF3000で数々優勝して、F1に登りましたが、F1で大クラッシュ、そのまま引退、今はレースティームオーナーです)。その時の印象は、あまり速くは無かったですが、、。

そのゴール1時間前のサードトヨタ94CVとダウワーポルシェの死闘は、歴史に残る大接戦でした。
ストーリーを少し話しますと、まず、サードトヨタのジェフ、クロスノフ(彼はその後、アメリカF1でクラッシュ、亡くなりました)がピットアウトして1コーナーに入る手前、ピット出たすぐにギヤシフト出来なくなりました。
ジェフは、機転を利かせすぐに車両から出て、リヤカウルを自分で開けまして原因を探し出しました。

チタニウムで作られたシフトロッドの一部が折れたのです。
すぐにジェフは、手でミッションのレバーを操作して2速に入れ、その周を2速のまま、1周回ってピットインしました。
車両から出たジェフは、男泣きに泣いてました。
それはそうです、トヨタとして自分として初のルマン制覇が、あとわずか1時間だったのですから、、。

そうするとすぐあとの(10分くらいか、、)2位を走行していたヤニック、ダルマスのダウワーポルシェが左リヤアームのいずれかを破損してフラフラしながらピットインしてきました。
ピットは、隣です。進行方向前側にポルシェが入ってきまして、2台の回りは大騒ぎ、、。
カメラの放列、車両の回りを忙しく動くピットクルー、、、。
しかし、ポルシェのメカニックは落ち着いた様子でアッパーアームを黙々と交換、見ていて鮮やかという以外、言葉はありませんでした。
一方、サードのメカはというと右往左往という表現は悪いですが、シフトの折れた部分が、丁度コクピットとエンジン室のバルクヘッドの間の為、作業は遅々として進まず、、、。

チーフエンジニアで自分の大先輩であります、今は亡き栗谷氏が懸命に作業します。彼は、サードの加藤社長と共にトヨタを辞め、1973年のシグマMC73と一緒に始めてルマン出場された凄い方でした。MC73製作の時、自分は大学2年生で広島から自費で応援に駆けつけてました、毎日徹夜続きで栗谷さんの家に泊めてもらってました。
トヨタ7など、数々のトヨタの1960年代のレースを経験されてました。
彼をもってしても、それは困難な作業でした。
後で、栗谷氏は、悔しげにあそこだけは壊れて欲しくなかったと言ってました。
ウィークポイントでした。
結局、ポルシェの方が、わずか20分の作業でピットアウトしたのです。
トヨタは2位に終わりました。
優勝は、ポルシェに最後の最後でさらわれましたが、ACO(ルマンのオーガナイザー)は、粋な計らいでこのデンソーカラーのトヨタ94CVをサルテサーキットに展示したいと申し入れがあり、サード及びトヨタは快諾しまして、今はサルテのミュジアムで余生を送ってます。

そんな話で、世間のいや、世界の狭さを感じたのであります。
そして、フィンランドからの繫がりを、、、。
絵は、左がジャックで、右がマーティンの外人部隊であります。
まだ、このときは余裕の構えであります、、、。
つづく。