スタッドレスタイヤ 2
後にも先にもあんな大雪の中を車で移動するなんざ、到底常人のなせる行動ではございません。若気の至りでしょう、、、。
あの後、あんな大雪の中を田舎に行った記憶がないということは、デューク東郷アニキもコリタのだと思います。
ちょっと付属説明しますとアニキと自分は6歳年が離れておりまして自分が小学6年でアニキは18であります。もう大人と子供くらいの年の差ですから、デュークアニキは自分にとってヤクザの親分であります。
今ここで悪口をいうつもりはありませんが、ご主人さまと奴隷の状態です。
絶対服従の関係でそれはそれは怖い存在でした。
中学、高校になってからは自分も背もアニキと同じ位に高くなり、自然と子分扱いはしなくなりました。高校では1年生の後半には自動二輪の免許を取ると中古のバイクをオヤジに買ってもらったので(それでも5,000円の実用バイクでスズキコレダ125cc、2サイクルツインエンジン)、それで行動し始めるとアニキとは行動が別々で、、、、。
アニキの次なる車両ニッサンチェリーX1という、当時でもスポーツタイプのFF車で今日のカローラレビンかシルビアのような車両です。名作B110エンジで、プッシュロッドのOHCでSUツインキャブ仕様です。これは自分も薦めた車両でした。
で、パシリはなくなりそれまでの鬱積が一度に晴れたようにバイクの魅力に取り付かれたツルタは、明けてもくれてもバイク小僧です。バイトで買った次なるバイクはヤマハのR1といってヤハマ初の2サイクル350CC、そうその当時はビックバイクです。これも楽しかった、、、。
冬が来ました。どうするかというとその当時は自分はもういっぱしのモータースポーツファンですから、4輪は全く興味は無かったのですがアニキに頼まれます、、、。
あまり自動車関係に強くないアニキは、なんでも自分に相談に来ます。
“おい、冬タイヤは、どうする?”自分はすかさず答えます。“まあ、スノータイヤでもエエけど、走るクルマだからマッド&スノーでは評判のダンロップSP44にしんさい!”、、、、。アニキは全く何か解りませんので“アキオミがエエというんなら、それにするか、、、!”
当時、ダンロップSP44といえばラリー全盛のころでニッサンブルーバードP510、フェアレディー240Z,タミヤのプラモデルでフロントフードをつや消しブラックに塗った真紅のボディの奴、これが冬のモンテカルロで優勝したりサファリで優勝したときにに開発され装着されたタイヤで、レース、ラリーファンなら知らぬ者がいない伝説のタイヤです。自分も社会人1年生の時、20万で1800cc510を買いましたが、、、。
余談が続きますが雪のモンテでアルトーネンのカウンター走りは、、、、、、、。
これをタイヤ屋さんに頼んで装着してもらい初めて試乗した時は(もう自分も18で、いやいや4輪免許を試験場で2回で受かり、取りました、ただの自慢話)ステアリングは非常に軽くなりましたが、もちろんオモステで、グリップはアスファルト面でも以前履いていたバイアスタイヤなんか及びもつかぬほど向上していて、そりゃ、“やっぱり、SP44じゃねー!”とアニキに感想を言ったのですが、アニキにはあんまり感動はありません、テッポウと猟以外興味ありませんので、、、、。
そして、このSP44が威力を発揮したのです。
アニキは、高校卒業後、その辺の事情は良く知りませんが自衛隊に入りました。
2年間勤めましたが、やはり防衛大学を卒業して入ってくる後輩が1年の新人教育の後、アニキたちを飛び越して昔でいう少尉になるのをみて、やはり大学に行かねばと思ったらしく、2年後に大学受験して大学に入っておりまして確か、卒業して今度は警察に入ったのであります。飛び道具はアニキの分身ですから、、、、で、自分が大学生1年か2年のとき勤務先がチョッと遠く車での通勤も出来なかったので、自分が朝、時々アニキが寝坊するとパシリを警察署までやらされるのです。
そのときは、五日市というところの警察署にアニキを送り届けまして朝の8時ころですが、その海岸線を走る国道は渋滞なので、近道の山越えをしました。自分も大学に、、、、。
寒い冬の朝ですが、市内は霜くらいでしたがその山は小高いけどさすが山ン中です、所々凍りついております。登りは難なくSP44の威力を発揮してグイグイ登っていきます。
峠を越えて今度は急な下りでした。
いくら山の中といっても町から近いし、他の通勤者も利用してる道です。
調子よくいろは坂のようなS字のくだりを降りてまして180度の急なカーブを曲がりきって直線になったところで前方からトラックがガーと突っ込んでくるのが30mくらい先に見えました。
まあ、イカンと思ってブレーキをかけました。するとかなりの下りですが15mくらいですがズッズーとかすかに滑りながら止まってしまいました。
トラックも5m先で止まりました。
そうです、自分の後ろからゴツンと音がして何だったかカローラくらいの車両に追突されました。
兎に角その時の制動力は、本当にいまでも覚えてますがタイヤが路面に食いつくといのは、こういうことかと思うくらいすごかったです。おまけに降りて後ろを確認しようとしましたがすべって転んだんですから、、、。追突した相手もズルリ滑ったの覚えてます。
50くらいのおっさんでした。もう路面はアイスバーンとまではいいませんがツルツルです。“よ-止まったな!”て感じでした。
運がいいのかそんなもんか、バンパー同士でぶっつかったのか下りでしたし、その当時の鉄バンパーは頑丈なのかキズ1つ無く、自分もアニキに怒られずに済むので“何にも無し!”と、その場でそのまま別れました。おじさん何べんも頭を下げて“すまんかったのー!”と言っておりましたが、自分はもうこのタイヤの高性能に感動してまして、そんなことどうでもよかったように思います。“こりゃーすげーわい!やっぱり、SP44にして正解じゃー!”ほうとうにこのタイヤはパターンもカッコよかったです。
つづく