d286e4c2.JPGスノータイヤ、スパイクタイヤ、マッド&スノータイヤ、そして最近はスタッドレスタイヤと呼び名や性能が格段に進歩して、冬専用になってきました。
もちろん、自分がガキのころ昭和30年後半には、アニキの所有していたスズキフロンテ360という空冷2サイクル3気筒、型式はLC10、、、、と当時では高性能の360CCエンジンで最高出力は、確か、、、25PS、でもホンダのN360は31PSであったのですが、、、。
カタログ値はともかくとして、心地よい吸気音と排気音でその当時自分はまだ中学生でしたが、アニキに連れられてよく広島の市内の家からオフクロの里である東北に60Kmくらい離れた豊栄町という田舎(なんとこの当時は人跡未踏のど田舎であったのが、現在は東広島市になってまった!!)にしばしば帰っていました。真夏で広島市内が35℃以上のとき、大体夏休みですが、田舎で屋根が茅葺の200年以上経ってる旧家なので昼間でもヒンヤリ、夜など普通のフトンをかけてないと寒いくらいなところで、もちろん雪も多く降りました。

豪雪地帯ではないので、どんなに多く積もっても20Cmくらいですがそんな時は広島市内もちらほら小雪まじりです。
すると大体お調子もの一家の自分ちは、ましてや11月15日から狩猟解禁でおじいちゃんの鉄砲が威力をはっきするころです。
アニキは、結局自衛隊、警察とその系統がただで撃てる方面にいきましたが18になるやいなや鉄砲の免許を取り、上下2連や水平2連のソレを購入して田舎の山道を2山、3山と歩きまわります。もちろん手下である優秀な自分を引き連れて、、、。
おじいちゃんの元気なころは、ウサギ、キジ、ヤマドリ、キツネ、タヌキと(イノシシ、クマ以外、これらは一人では危ないので)残雪に残る足跡で何かをかわゆい孫であるアニキに手取り足取り教え、愛犬に追わせてバーンと一発やるのですが、、、。

そんなとき、市内は小雪なのですが急いで“いくぞ!といったらもう車に乗って用意しなければなりません。
スノータイヤです。その当時のスノータイヤは、軽四用でもスパイクが打てるようになっていますが、それは高いし一般道ではすぐにスパイクが減るし、チャーっとやかましいので大体はチェーンを用意して出発します。

だんだん田舎に入っていくうちに小雪は大粒になり道路や周りの田んぼや畑は白くなります。遠くの山々もうす白くなってます。
“おにいちゃん、こりゃあ向こうは積もっとりゃせんかの?”と、心配のナビゲーターツルタですが、そんなもんでひるむデューク東郷アニキではありません。
自分の意見なんか眼中に無く、頭ん中は白銀の世界と動物の足跡です。

で、その時は、いまでも忘れやしませんがあと田舎まで500mってとこまで、チェーンを付けたり、スコップ(もちろん冬期運行の常備品ですが)やムシロ(ワラで編んだ敷物)等でそこまで這ってきたような、まるで第二次大戦時の日本軍がアジア大陸の雪中行軍と大差ないようなシチュエーションでありますが、、、、もうダメであります!と鬼アニキに報告であります、、、。

アニキは、黙ってましたが、近くの民家はかって知ったるとこばかり、、、。といっても5~6家だけですが、、、。
もう時間は夕方の6時ごろで薄暗くお昼に出てから普通では2時間もあれば到着しておせんべいでも食べてるところですが、途中で雪中行軍に何回も止まっては雪堀して、、、。もおそれはみごとな記録映画にもなりそうな状況でして、たしかその時は大雪で20cmくらい積もってまして、その最後の峠の前にカーブがあるのですがそうです、吹き溜まりです。
多分40cm以上積もってたのでしょう。スノータイヤ、もちろんチェーンもとっくに装着してますが、そのころにはフロンテのフロントバンパー部分で雪を押しのけてる状態、リヤの駆動輪は、雪もぐれでむなしく空転しております。

スコップで掘ったところでものの1mも前進できれば、フロント部にはまたも雪の壁が立ちはだかります。
で、アニキはその一番ちかい同じ苗字の遠藤家(実はアニキは中三の時、母方のおじいさんちに養子となりました、神社を継ぐために)に助けを求めに行きました、、。
そのあと、あまりくわしく覚えてないのですが、そのお爺さんと息子(といっても40歳くらいの、、)さんが頭にほっかむりをして手伝いに来てくれたのだそうです、、、、。
だそうですということは、、、そう、その辺からあまり覚えてません。

今年の11月の秋祭りで自分は、その実家が神社ですので手伝いに帰ってたのですが、お祭りが終わり、“ねぎらい”といって氏子さんたち(神社の式典を手伝う村の衆)に神社内で20人くらいの方に神社側(すなわち自分達が)がお酒などを振舞ってねぎらうのですが、、。その際に大体古参のお爺さん方が酔ったいきおいで昔の話を持ち出すのです。

それらを合いの手うって拝聴するのですが、今回あの豪雪のときのアクシデント(自分らの恐れを知らぬノーテンキな行動を)のことを思い出したように話し出したのです。
そのおじいさんは今はすでに永眠されましたが、その息子さん、今では70歳をとうにこえられた方でしたが、“今でも思い出すが、いきなりヨシノリさんが来て、助けてくれなんていうけー、どうしたじゃーいうたら、雪で動けんていうけー、もうすでにいっぱい飲んどったけど、あわててオヤジと一緒に助けに行ったよのー、大雪で前もろくに見えんかったけー、、、、。まあ、よう、あんな大雪んなか来たよのー!!!!”てな感じで昔話に花が咲きました。
つづく。