今年、自分のまわりで友人の親戚や昔お世話になった方々の近親者の訃報による、年始の挨拶を控える由のはがき等の連絡が相次ぎました。

そのはがきには先々月に長年苦楽を共にされた令夫人を亡くされたと内容が書かれてました。そのご夫婦には、この16年間は、年賀の挨拶だけでした。

そのご夫婦には、20代の何も知らない若かりしころ公私共々お世話になった人です。
そのはがきを今朝家内から見せられまして、“なんでもっと早く知らせんか!”と、まず、家内にあたりそして次に、はがきを送られた方に水臭いと思いました。

そして、時間をおいて冷静になり、その方の部下に電話しました。
すると部下は、社長であるその方から一切誰にも知らせないで欲しいとの厳命があり、社内でもお葬式に出るなといわれたのを無理に幹部のみ、出席されたそうです。
式もお別れ会の形をとり、近親者のみで行われたようです。
まあ、その方の気性を考えるとわかるような気がしました。

自分は、今朝、ここから手を合わせご冥福を祈りました。

人が亡くなるということは、自分の見えてる周りからは今後一切見ることも会うこともかないませんが、心のなかではその当時の面影や思いでは一層強く残るのをこのごろ強く感じます。
とても悲しく寂しいことですが、致し方ありません。

10代の多感なころは、片思いで失恋したり、大失敗をして恥ずかしい思いをして“もう死んでしまいたい!”などと今思えばかわいいことをしてましたが、実際自殺などした者は、自分の周りでは一人もいませんでした。

最近のいじめによる自殺は、大きな社会問題になってますが根底にはやはり生まれ育った周りの環境が大きく影響してるのでしょうね、、、。
どの時代でも、もちろん自分の小学校、高校といじめはありましたがそれで自殺するまで発展することは無かったように思います。
学校給食を払わないとか、小学校の学芸会で主人公の桃太郎が10人くらいいて、絵で書いた鬼を退治してるとか、先生の権威は下落し生徒の親が皆ヤクザの女親分がごとくなにかとPTA総会で意見を並び立てます。

極端ですが、そんなに学校のしきたりが気に入らないなら自分で子供を教育しなさいよ!
自分たちの時代は、それが理想とはいいませんが怖い担任や生活指導の先生がいてテストの点が悪いといえば教科書で頭を叩かれてまして、しまいには先生の本が湾曲しだしたので先生は怒って、“オレの本が台無しだ、これからは自分の教科書を持って出て来い!”などといわれ、地図帳(今の方がたは御存知無いでしょうが、昭和40年代の社会の地図帳ってのがあってあつみ15mmくらいの大きさがB4くらいある写真集みたいな)をもって並び、テストの答案用紙を帰してもらうのですが大体皆なんやかやとケチをつけられて、そのあと地図帳を先生に渡しますと、先生はおもむろにそれを持って表紙で頭をどつかれます。

まだあって、たしか35点以下だったと思いますがそれ以下の生徒は、今度はその地図帳の背中(15mm厚のところ???)の部分で頭、どつかれます。
自分もやられました。本当に目から火がでました。
一部のむちゃくちゃ優秀で要領のいいやつを除いて、地図帳は、表紙も湾曲、背も外側に向いてきれいなカーブをしてました。
それでもみんな“あのフグブタヤロウ!”とかアダナは付けましたが、親に言うとかそれが問題になったとかありませんでした。

また、いじめに関しても中学でも高校でも大体、番長てのがおりまして、このお方が学校全体を影で統括してるというか、俗にシメテルというか皆一目おいてましてそんな陰湿ないじめなどは、ありませんでした、、、、。
それが良いとは思いませんが、生徒数もそのころは、どこもマンモス学校(全校生徒1500人くらいの)で大体1教室50人くらいはいましたので、現在ほど担任は目が行き届かないはずですが大きな問題は無かったと思います。
まあ、今に比べ色々な情報は入り込んできませんからうぶっだったとは思いますが、、、、。

人生、ひとりでは生きてゆけないってことを幼児教育から徹底して、北朝鮮式強制国家行事にしてしまえば、、、、。
チョッと前までは自国もそうであったのに、現在のこの様変わりは一体なにが原因か、、、などとどこかの評論家がまくし立ててますが、、、、。このままこの状態が続けばアタマのキレル、お金もちは海外の移住して子供たち育てたりするんじゃないでしょうか、、、。

アメリカのおばあちゃんやイギリスのおじいちゃん、ドイツのおじさんたちは他人の子供でも悪い時はちゃんと叱ったり、諭したりしているのです、、、。
日本人にもそれらを期待しますし、自分も含め今日から行動したいです。
つづく。