モデルカー3
FRPカーといえば、このポルシェレーシングカー904から917まで殆んどFRP製でアルミパイプフレームをシャーシとして、それを又FRPで包み込むようにボディを作ってます。
これは当時としては最新の手法ですが、クラッシュしたときの部分修理するにも切り繋いで再生できます。
イギリスのローラ社は、アルミモノコック、フォードGT40はスチール製モノコック、
フェラーリも330P3ではアルミモノコックですので、モノコック全盛時代にFRP&パイプフレームは、ドイツらしい独創的手法です。

ちなみにトヨタ7は、このFRP&パイプフレーム製でした。何故知ってるかと言うとそう小さな自慢話ですが、20年くらい前以前の会社でそのトヨタ7のフロント周りの修理を経験しましたし、その会社の先輩たちは、その7の製作者たちでしたので色々きかされてました。トヨタさんのその当時のレース撤退でそれらのパーツが放出され、そこにもたくさんありました、6mmのチタンボルトやマグネシウムのラジアスロッドとか、、、。

1977年の936までこの手法でして、1981デビューの956からやっとアルミモノコックとなりました。
自分が在籍していたシグマオートモーティブ(現サード)は、1973年デビューのGC/MC
73がアルミモノコックでしたので、その1970前後はF1ではパイプフレームなど存在せず殆んどアルミモノコックでしたので、908、917、936等ポルシェ社は頑固なまでにその伝統的手法を崩さず、FRP&パイプフレームに固執するところなんざ、とても他社では真似の出来ない芸当です。
空冷エンジンは諦めましたが、スポーツカ理想では考えられないリヤエンジンで成功をおさめております。

まあ、こんな頑固なところがファンを引きつけて離さないのでしょうが、、、。
話は飛びますがそういつも飛びます、思いついたら話さないとすぐ忘れるので、、、。
第2次大戦時のメッサーシュミットbf110という名機は液冷式のエンジンを搭載してましたが、大体空冷星型の日本の航空機もそうですが現地での整備や換装などの整備性は圧倒的に空冷が有利なのです、これは993までの空冷も含めて部品数が少ないので、、。

しかし、このbf110という戦闘機を日本の陸軍が参考の為購入して、それを基本にキー1型という“飛燕”を液冷式エンジンも含め国産化しましたが、その当時の整備士たちがこのメッサーシュミットbf110を分解した時、なんと簡素にそして短時間に分解、整備ができるように作られていることに狂気感嘆したそうです。
現地の又、屋根の無い青空のしたで簡単な設備あれば、熟練者でなくても簡単にエンジンが脱着で来たのだそうです。そして驚くことにこの液冷式V12気筒倒立エンジンは、日本の技術屋がうらやむほど耐久性を考慮し、短い時間でオーバーホールの時期が指定してあるのだそうです。もひとつすごいのはこの重いエンジンを機体に支える為の懸架装置をマグネシウム鍛造で製作されてるのです。
飛燕では、クロモリ鋼管でしか対抗できませんでした。これだけでも相当重くなったそうです。そうマグネシウムなど材料も日本になかったので、、、、。

ドイツと日本の考えの相違があるとしても、この整備性の良さと耐久性の考慮、材料の豊富さ、どれをとってもその当時のドイツのレベルの高さを物語ってます。
そして当時、飛燕は故障の多い(これは整備性の悪さも影響してます)又、良い作戦やパイロットなどに恵まれない悲運の運命をたどったのです。土井さんという中島飛行機製作所(現スバル社)の日本を代表する優秀な技術者を有しながら、ゼロ戦の堀越氏と比較されました。
また、海軍と陸軍の軋轢の中で良いところを共有するということが出来ないまま、海軍のゼロ戦の良いところを陸軍の飛燕は利用できず、変ないがみ合いのなかで敵と戦っていたのです。あんたらアホじゃないのとノーテンキのツルタでさえあきれちゃいます。

こんなアホンダラで自己中心的発想しかできない軍部の上層さんたちは、戦争中は部下に“お国の為に死をも恐れず、最後まで戦え”と号令しておいて、敗戦になれば責任転嫁して真っ先に降伏、または身を隠しました。このような卑劣な野郎と一緒に靖国に合祀されたくないと思うのは自分だけでは無いと思います。

もちろん勇猛で果敢な、そして部下思い優秀な上司もおられたことも事実ですが、、、。
実情はそんな簡単なものではないでしょうが、毛沢東さんが中国人民は多すぎるので少しくらい間引いても問題あらへんで!と、大量虐殺したのとあまりかわりませんかね、、、。

いつの時代も犠牲になるのは、平民そうオイラみたいな純真な方々であります。
8月6日という広島の原爆に少しですが関係ある自分としては、事実を多少なりとも誤解して理解してるかもしれませんが、この戦争で多くの方が祖国と家族の平和の為に大事な命を引き換えにしたことは事実です。
ただただ合掌であります。

現在の日本は、“遠い日の出ずる国”なのであります。あらゆる国から羨望され一度は行って見たい国のひとつです。敗戦より立ち直り大きく復興しました。
トヨタ自動車さんは今に世界一になりそうですし、あらゆる分野で先頭を走ってます。
しかし、それも多くの先輩方の悲しい体験が基となっていると思います。

話が、そうとう横道にそれましたが、この章を書いてるときはこのような結末になるとは夢思いませんでしたが、自然とそうなってしまいました。
個人的感情の思うがまま書き綴っていることをご了解ください。
つづく。