1999年のルマン24Hにエントリーする為には、その当時事前のルマンテストデェーに参加してある程度のタイムを出さないとエントリー出来ないという暗黙の怖い了解がありました。
で、我らローク混生ティームは、日本人2人が参加することになったのですが、織戸選手は、テストデーが5月5日だったのですが、日本でのGTが5月3日に富士でありますので参加不可能、もう一方PCJのクラブ員の方ですがその方とイギリス人、イタリア人の3人でタイムアタックということになりました。
その当時は、それでも精一杯やったのですが車両がアメリカからの飛行機が遅れ資材と車両がギリギリに到着したり、ローク自信がその当時すでに金欠病で首が回らない状態だったことも災いしてか、全て結果論ですが運悪くエントリーから外されてしまいました。
この時は、本当にまいりました。自分のスポンサーからの事前のお金をロークは、結局返金してくれず、参加されたPCJの方は泣き寝入り、自分も他のスポンサーに平謝り、、。
この時は、オーガナオザーのACOの会長に手紙をだして真相を説明して欲しいと懇願したり、フランスのACOに親しい日本人ジャーナリストにお願いしたりしましたが、所詮どうしようもなかったのです。
フランス人は、自分が辞書ですから、、。
ニッサンがやはりそんな問題で講義したことがありましたがACOの回答は、”そんなに不満なら出なければいいでしょう!”っと、一蹴されたそうです。
まあ、しかしこういう状態が続くと、参加者はスポンサーに対し出れない場合、お金を返さねばならないなど、やはり問題となり最近は、テストデー参加イコール許可されることと変更になりました。
まあ、レースは水物といいますが本当に苦しい経験をさせられました。
このときロークは、前年度に出た初代のポルシェGT1を購入、その年のルマンなど年間レースに参戦してましたが、このGT1が曲者で大変な大金食いでして、これで一挙にロークは、お金を使い果たしたのでした、、。
993GT2には、そうした色々な思い出がある車両となりました。
絵は、そのテストデーのワンシーンですが、その時他の車両のどんな奴が出てたか殆ど覚えてないくらい、それに没頭してました。
後で、色々な写真など見てそうそうたる車両が出てたなと思ったくらいでした。
つづく。