22a5b519.JPG1996年あたりから自分のレース活動は、タイサンさんのアルバイトからアイメックの独自のスポンサー活動によるルマンなどの海外参加を目指して行動してました。
そのころポルシェ993GT2レーシングで1994年あたりからBPRシリーズとしてインターナショナルGTレースがヨーロッパを中心に行われ鈴鹿1000Kmレースもその一部として利用されてました。

そのセミワークスとして当時台頭していたのがルークレーシング(ROOCK RACUNG)で、ケルンを本拠地とした新進気鋭のティームにジョイントして何戦か世界で参戦してました。
1998年11月には、最初で最後の富士ルマン1000Kmレースが開催され、その当時から狭き門であったルマン出場枠がこのレースでクラス1位になると取れるということでルークティームと合同で参加しました。
1996年の鈴鹿1000Kmレースでは、わがルーク混生ティームは、クラス優勝と4位を得ていました。

残念ながら富士1000Kmレースでは、GT2クラスは、タイサンさんがゲット、われ等がGT2クラスは、ステェファン、オルテリ(その後のルマン総合優勝者)などで挑みましたが、途中リタイヤ、GT3クラスとして993RSRで出場をお願いした織戸さんとはクラス2位でした。

で、翌年のデイトナ24Hもルークと一緒に993GT2で出場しましたが、やはり途中リタイヤ、その1999年は、デイトナで996GT3RSRがデビューしました。
その後、その年、6月のルマン24H出場の為、織戸選手のテストも含め、一路アメリカ東南部ジョージア州、アトランタのロードアトランタサーキットに行きました。ここは、ルークアメリカの拠点となったところです。
絵は、その時のテスト走行です。織戸選手は、初めてのロードアトランタですが、動物的勘ですぐにコース要領を覚え、ルークのワークスドライバーである女性のクラウディア、ヒュートゲン選手に劣らぬタイムをたたき出しました。

なんせ、当時は自分も若かったものですから怖い物無し、ルマンだろうがデイトナだろうが、鈴鹿だろうがお金も無いのに何とか回してました。
993GT2レーシングは、世界中でその性能と耐久性を誇示してましたね!
つづく。