翌2月2日は、朝6時頃起床で近くのホテルから(箱根峠)小雪模様の中フジSWに向けて出発です。
今日開催できるかなっと、皆さん関係者は、不安に思いながら、、、。
まあ、なんとか晴れのち曇りで一日中それは寒い1日でしたが、何とか4時の終了時まで、数台のクラッシュもあり大変な1日でしたが終了しました。
マンタイ氏、余郷氏、そして津〃見友彦氏(この方は、トヨタ7でレースをされてた方で自分の尊敬し、敬愛している生沢徹氏とは同時代のエースでありました。横道にまたまたそれますが、自分がサード時代初代サバンナRX7、SA22Cにターボを試作しまだ、ブリッツが存在しないとき、何かの雑誌の取材で彼が始めて試乗していただいきました。昭和53年秋です。そのときまず最初に自分が運転しまして、その当時バリバリの現役の彼を助手席に座っていただき、一般道のS字コーナーの最後をブレーキミスでコースアウトしてしまったオマケつきです。
たまにお会いしますが、あの時の事を思い出してかニコニコしておられました。
とても恥ずかしい思い出であります。)の3名が3台のマンタイ試乗車に交代で丸1日中同乗走行しておられました。
特にマンタイ氏は、殆ど乗りっぱなしだったと思います。
最初は、そんなはずでなく10人分くらい乗せたらO、Kっだったのですが、、、。
よく文句の言わず、もくもくとピットアウトしていかれました。
マンタイ氏に同乗できなかった方々には、運がなかったとあきらめてください、、。
逆に同乗できた方は、彼のやさしく、スムースな運転に拍子抜けしたと思います。
ニュルブルクリンクでの伝説にはことかきませんが、この件前にもお話しましたが、またします。
ニュル24H予選まえの練習走行で、ブレーキローターとパットのあたりをつけるための走行を本当は4人目のF3ドライバー(一番下っ端なので)がうけもっていたのですが、よんどころない事情で暇な監督であるマンタイ氏本人にメカが頼みまして、本人その当たりつけの走行でその4人目のベストラップを超えてしまったそうです。
まあ、こんなすごい方を近くで会えたり、写真を撮ってもらったりするだけでもよかったんじゃないでしょうか、、。そう思ってください、外れた方々、、。
その晩、ご苦労さん会をマンタイ氏を含め、参加者をつのって山中湖畔のホテルで催されました。
よく朝は大雪との天気予報、一部の方はその晩各方面に帰っていかれましたが、自分は帰れません、そうお付き合いです。
たくさんお酒を飲みまして温泉に入ってバタンキュウであります。
翌朝、窓の外は一面の銀世界、20センチくらいつもりました。
ポルシェで宿泊したものは、愛車を置いて帰りました。
自分の997ターボも、ゆきだるま状態でした。
そう、今年はユキオトコです。
絵は、そのホテルに途中ですが、ノーマルタイヤで4WDの愛車、何とか走りまっせ!マンタイ氏の一行は、スタッドレスミニバンでして平気な顔してまんたい、ファーーイーストの本拠地大阪に向かって行かれました。
つづく。