モデルカー
モデルカーは、クルマ好きの方であれば子供のころも含め一度は購入され色々集めたりされたと思います。
自分は、小6のとき昭和39年ころから第1期ブレークしましたスロットカーも含め(この件あとからくわしくお話したいです、、)プラモデルの時代から当たり前のようにありました。
もちろんその当時は、ミニチュアカーといって1/42スケールくらいの金属製の物も販売されてましたが、子供の手の手と届く価格では無く親に買ってもらうくらいでした。
で、モデルカー(ミニチュアカー)は、あまりたくさん持った記憶はありません。
中学生になり実家の茶店の手伝いやら、その当時なぜか1年間だけやった新聞配達などで貯めたお金は、自転車の改造かプラモデル購入にあててました。
おりしもホンダF1の3Lで初代のRAシリーズをタミヤ模型さんが1/12ビッグスケールシリーズで発売され、購入して徹夜で組み付けた物です。
もちろん尊敬する生沢徹さんの1968年5月の第5回日本グランプリで初お目見えしたホワイトボディに真紅のVラインがシンプルだけども、とても印象にのこる“ポルシェカレラ10”自分ら、その当時の大ファンはこの響きだけでも、又自分で声に出して言っても
興奮してしまいます。
その当時、全盛だったビートルズの“ヤアヤアヤア!”という実録風映画が上映されましたが、兄貴と見に行ったとき最前列(ようはスクリーン手前3メートルくらいのところ)で10人くらいの中、高校生風の全員女の子達がスクリーンに向かってジョンやポール(すみません呼び捨てで、、、)が登場する場面で、そりゃあもう気絶するかのようにキャーキャーと叫びながら手をちぎれんばかりに振っているのを自分は“相手に通じてないのに何で手をふッとるんね!”と、たしか兄貴に尋ねた記憶があります、、、。
あれと一緒だとこのごろ気が付きました。
子供心にタミヤさんの製品は、他の物に比べ正確なディテールだったので好んで購入したものです。
でも、社会人になり豊田に引っ越してきてこちらで独身時代も含め、プラモデルを買って作った記憶はありません。たまに衝動買いでプラモデルのクルマを買ってもそのまま箱のまま、置いて有りました、、、と、過去形なのは、その15箱くらいあったプラモデルのクルマは、長男がまだ10代のころ適当に組み立てて中途半端になってました、、、。
そう、最近のお子さんは、プラモデルを親に内緒で買ってきて、夜な夜な半徹しながら苦労して組み立て、そしてシンナーと戦いながら塗装(あのころは、スプレー缶は無く、プラモ用のプラカラーといって小さなビンに入っており、それをシンナーで薄め手押しのスプレーガンで塗装したものです)してた自分らとは違い、即遊べるパソコンやTVゲームに熱中してます。徹夜して、、、。
まあ、自分が心配しても始まりませんが広島市の尾道市にある小学校の校長先生、あの“100マス計算”でいちやく時の人になられました蔭山英夫先生のような優秀でユニークな方が、この衰退したプラモデル業界の発展と子供の教育を向上をコラボさせた何か良い方法を見つけられるかもしれません。
教育委員会というところは、自分が意見しても何も害にならんと思いますのではっきりいいますが、あのゆとり教育とかいって先生達もお休みが必要だとか言ってアメリカをまねして週休2日制にしてしまいました。
それが最近小、中学校の義務教育期間中の学力が落ちたことで又あわてて、それを採用した方がたを非難しております。
そんなとき蔭山先生は、反復練習と記憶力向上の為、柔らかな、そして発育途上の若きエースを学校全体から養成しておられます。皆と競いながら全員が学力を上げるのですから
すばらしい教育と自分のような低いレベルの人間でも理解し、関心し、興味を示します。
が、どこの世界でもバカというか反対することが生き甲斐のようなヤカラがおられるもので、この蔭山教育を裏でちくちくと反対、批判されてるのだそうです。
こういう奴が、電車内で痴漢もできず携帯カメラで女の子のスカート下を撮ってるんですよ、きっと、、、。何故くわしいかというと自分の親父もその教育委員会で先生を指導する立場におりまして、よく爆発しておりました、バカが多すぎると、、、。
先生も人の子ですから、実力以外に先生から校長になるには何らかの作戦がいるのです。
オベンチャラとか太鼓モチがおられるのです。サラリーマン社会よりエゲツナイです、、。
蔭山先生のようなすばらしい方は、彼等にするとウザイのです、いらんことして欲しくないのです、、。まあ、自分がどんなに興奮して説明してもなんの足しにもなりません。
ただのボヤキであります。これが発展途上から安定期にはいった先進国の嵯峨というには悲しすぎます。でも是が現実ですね!強い物には、まかれろ!
もちろん先輩の厳しいそして愛情ある指導は、謙虚に受けねばなりませんが、、、。
いい先輩とは、どういう方か、、、。オバカな自分でもはっきり判断つきます、蔭山先生のもとで教育を受けたかったです。ハイ!
話は、大分横道にそれましたが、絵のポルシェ993GT2レーシングは、1998年ルマンに出場されたルークレーシングの車両で、自分も参加してお手伝いした時の物です。
VITESSE(ビテス)というところのモデルカーで、限定清さん、2,500台の内の1台です。多分日本には流通してないでしょう。
これらは、ビテスの専売か、その年にルマン出場した全モデルを発売してます。
つづく