9242ddb5.JPGスロットカー
スロットカー何と響きにいい言葉でしょう、、、。
自分が小学校から中学校の多感な時代に、違う教室の女子を小学校1年(一応マセテマシタ)の時から好きだった以外、プラモデルとスロットカーと自転車に熱中してました。
たしか、5年生ごろからスロットカーは、はやりだしニチモ、学研、タミヤ、ハセガワ等の国産群に対し、アメリカの確かレベル社だったと思いますがマグネシウムシャーシーを採用された物に歯が立たなかったように思います。

もちろんその当時国産スロットカーは、800円(マブチ27クラスモーター付き)位からでしたが、レベルのフォードGT40などは、4,000円以上してました、、、。
とても自分達のお小遣いでは購入できず、今の私たちおじさん(お兄さんも含む)たちの占有でした。

自分が育った広島の小学生時代は、その当時旧広島市の比治山とふもとに育ちましたが、防空壕あとや、お祭りには傷痍軍人さん達があたりまえのようにいました。
800円のスロットカーでも自分の小遣い買うには高価だったのです。
当時は、30円で簡単な組み立て式飛行機のプラモや100円シリーズで1/72の軍用機が買えました。
タクシー初乗りが120円くらいで、ガソリン有鉛が1L、60円くらいでした。

タミヤの物はやはりボディーのディテールは子供の目からみても群を抜いており、シャシーの真ちゅう板材の打ち抜きを使ったりスイングアームを使ったりと完璧でした。
エルバマクラーレン、ロータス30、フェラーリ275LM等購入し、その当時はまだ筆でボディを塗ってました。今まだ持っていればお宝ものでしょうね、、。

他のメイカーの物も購入したり、その当時小学校の近くのプラモデル屋のおじさんがお店から20メートルくらい離れてる駐車場の一部を小屋に改装して坪で15坪くらいの部屋にプラスチック製の組み立て式コースを作り、同時に4台がレースできるものでした。
そこで自分のマシーンはもちろん各所にチューニングしてあるので毎週日曜日に勝ち抜き線のレースがあり付き月に一度の大会では商品に大きなプラモデルやスロットカーが商品として出ますが、もちろんたくさんいただきました。で、小6のころには親父に買ってもらったロードレーサータイプの自転車(これもチューニング進行形)にまたがり、荷台にアタシュケースをくくり付けてさっそうと登場するのです。

中には5から6台くらいのマシーンとタイヤ、工具、その他パーツを入れて、、、。
いや、勉強する時間はありませんでしたが車両のチューニングする時間はいくらあっても足りなかったと思います。なぜなら学校から帰るとすぐ比治山の母がやっていた茶店の手伝いに行きます。家から自転車か歩いて行くのですが3~4キロありましたし、おまけに小高い(68m)丘みたいですが、登ったり下ったりの道のりだったので足腰は鍛えられました。小学校の徒競走も速かったし、冬にある持久走(校庭のまわりを4年生以上が合同で走る)では、毎年1~3番くらいでした。しかし、クラブ活動は中学に入ってからもちょっとしかやりませんでした。いい訳すると茶店の手伝いがあったからですが、、。
で、茶店を母に代わり5~6時ころには店じまいして、また歩いたりして家に帰ります。
それから、晩御飯、、、。

お勉強、スロットカーのチューニングはその後からです、深夜まで、、、。
何時もプラモとかスロットカーを触っているのではありません。自転車もあります。時々はテレビも見ないと、、、。プロレス中継の力道山、豊登、そして水曜夜8時からのコンバットやデズニーアワー、7時からのNHK“私の秘密”高橋圭三さん軽妙なアナウンスぶり、これに大変貴重な方が出演されました、ゼロ戦の生みの親、堀越二郎さんです。
この件、以前のブログと重複しますが何回でも言います。

解答者の政治評論家の藤原さんが軽率な質問をしました。
ヒントとして高橋アナウンサーが確かこの方は何かを設計された方だと紹介しました。
そう、この“私の秘密”を知らない世代の方がたに説明しますとNHKの娯楽番組で人気のあったもので、その当時の各方面の有名人を名前を伏せて出し、4~5人の著名人解答者が当てていくストーリーです。
で、その藤原さんが堀越さんに向かって“そう、あの特攻機のゼロ戦を作った方だ!!!”と自慢げに解答したら、画面は堀越さんに変わり彼が答えました。毅然とした態度で、、、
“ゼロ戦は特攻機ではありません”と、言葉す少なに、、、・。

その時又、画面は藤原さんに変わり、彼は、慌てふためいて訂正しました。
“そうそう、戦闘機の、、、!” また、画面は変わり堀越さんと司会の高橋さんが写り、堀越さんは、憮然とした態度で黙っておられました。こんなところでことを荒立ててもせんなこと、、、“などと、、。司会の高橋さんは、あのニコニコ顔を余計作り笑いして”そ、そうですよね! 戦闘機ですよ!有名な、、、“

当時自分は、いつ頃だったかはっきり覚えてませんが、白黒テレビだったので小学4年生ころか、、、。それでも堀越さんの毅然たる態度は凄く印象に残り、一字一句覚えてるのです。 物凄い迫力をその画面から感じました。
当時その現場におられた方々のその場の雰囲気は、すごかったろうと思います。
今、この3方のどなたもこの世を去られました。
で、話は変わりますが絵は“FLY”フライと発音しますが、現在のスロットカー愛好家でこのスペイン製の1/32シリーズは、自分もヨーロッパのモーターショーなのでミニカーを出展してる小さな出店で知りましたが、上手く出来てます。
つづく