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絵は、上からISF用フルチタン仕様、、。

2番目は、たこ足部がありませんが、ガス検落ちた
200セル、全長50mmのメタル触媒部、、。

でもって、一番下が、これから製作したい200セル、
全長100mm(倍のメタルセル)のブツをこの間隙に
ぶち込めればと、、。

じゃあ、最初からこれにしとけばと、、。
ご想像どうりですが、少しでも安価でスペースも無かったので、
と言い訳です。

しかし、これでパス出来るかどうかは、やってみないと、、。
なんせ、加工技術はアイコードでは超一流と自負してますが、
旨く組み付けれるとどうか、、。

最近、排気マフラー関係者とお話ししましたが、これからもっと
排気ガス規制は厳しくなりますが、もっと厳しくなりそうなのは、
騒音規制です。

うわさでは、純正マフラーの音量より上げてはいけない!とか、、。
要は、社外品スポーツサウンドマフラーは、作れない!!!

改造車お断り!

JASMA 日本自動車スポーツマフラー協会 ここが日本国内の
スポーツマフラーで、国に対し規制を掛けられるのを何とか
少しでも規制を緩めて欲しいと訴えてる組織です。
ここのJASMA認定を受けますと、車検対応となります。

現在、HKS社長谷川浩之さんが、会長を務めておられまして、
ガンガン国に文句を言っておりました。

その長谷川さんが、先週の水曜日11月9日、突然の訃報であります。
何でも、組合の会合先ホテルの浴室で、、。
心臓か、脳か、、!
心労もあったと思いますが、安らかにお眠りください。
享年71歳、まだまだ現場で激をとばしていたらしく、社員は
いつもピリピリしてたそうです。

彼とは、昭和48年くらいに、初めて豊田市若林の現サード、
昔はシクマといっていましたが、そこの初代の工場にハコスカに
ターボKITを付けた車両で尋ねられました。

すでに、そのころはヤマハ発動機(トヨタ7のエンジン担当)を
止め、富士宮の在所に小さな工場を建て、HKSという
社名で会社を起こされてました。

当初は、グラチャンマシン用2L,4気筒レーシングエンジンを
自社開発し、発売することを目的とされました。
しかし、第1次オイルショックで、レース熱は冷め、縮小となり、
飯を食うための商材をヤマハ時代のターボ技術を生かし、
ターボKITを開発されました。

HKS(長谷川、加藤、シグマ)社は、当時アフターパーツ輸入
商社で輸入品を扱っておられたFET(極東)の初代社長小山氏
の男気もあり、FETターボとして、USA製レイジェイ社ターボを
使用して当時のハコスカGC10でキャブターボKITを発売しました。

L型エンジン、カウンターフローのキャブレターと排気マニが
左側に集約されており、KITは純正キャブの頭に、円形上の
サージタンクをかぶせ、ブースト圧は、エアリリーフという、
今では考えられないシンプルなKITでした。

カウンターフローの弱点で、ハイキマニホールドの上部に
キャブ、そしてサージタンクがある為、市街地などゴーストップ
などで、エンジンルーム内温度も上昇し、キャブレターが
オーバーフローという現象で、アイドルストップ(現在の
オートアイドルストップとは、、)してしまい、大変、トラブルも
多かったのです。

しかし、当時2L、シングルカムで100PS程度の馬力が、
チューンによっては、30PS以上アップしましたので、それは
それで強烈な印象をユーザーに与えました。
全国に販売され、いちやくターボブームの先駆けとなりました。

長谷川さんは、あの独特な遠州浜松弁で気さくな方でした。
その後、HKS社はご存知のとうり、株式にも上場し、一流
企業に発展しました。
本人さんは、岡崎市の伊藤レーシングの伊藤社長と並ぶ
機械フェチで、大型工作機械をどんどん導入されました。

それに比べ、ツルタの在籍したシグマ社は、アタシが意見
しても工作機械など、、、。
最後には、自腹で2mの電動シャーリングなど密かに仕入れました。
そんな長谷川さんも、とうとうアチラの世界に、、。
チューニング業界、先駆者の旅立ちであります。

寂しい限りであります。

つづく。