最近、シグマ(現サード)時代にマシン作り、レース参戦でお世話になった先輩方々が縁あって弊社に尋ねていらっしゃいます。
昨日は、1973年シグマMC73、GC73のボディーのデザイナーで当時の本職は、某○ヨタ自動車のデザイナーのI氏です。
当時は、初代○アラーのデザイナーをされてました。
アメリカのデザインセンターなどにも在職されてましたトップデザイナーです。
当時のポルシェ社のトップデザイナーとも懇意にされてました。
現在は、定年されましたが○ヨタさんからお呼びがかかり後輩の指導をなさってます。
JIDA(日本インダストリーデザイン協会)の理事などもなさってた偉大な方ですが、当時は自分はシグマ一途、学生時代に広島から応援に来ておりましたとき、夕方になるとI氏がひょっこり現れて、小さな設計室でもくもくと1/5のクレイモデルを成型されてました。
そんな偉い方と知りませんでしたので、多分タメ口でお話させていただいたと思います。そうそうたるメンバーが集まっておられました。
それも皆さんヴォランティアで、、。
その方が最近のデザインを見て何か足りないね、、とおっしゃてました。
当時は、デザイナーとシャシー設計屋さんと専務、副社長さんなどが喧々諤々と激論をされてたそうです。デザインを優先するかコストと製造過程を優先するか、、。
また、デザイナーさんはその当時の技術力の中でボディラインを複雑にして金型屋さんを悩ませたりしたそうです。
当時の製作秘話を色々お聞かせいただきました。
○アラーは、初代から爆発的売れ行きで、当時自分とこのブリッツと○KSの○谷川とでターボKITの激しいバトルし、自動車雑誌上でよく、フジや谷田部にいったもんです。
○アラーの生みの親であるI氏の気持ちなど気にもせず、切ったり貼ったターボを付けたりして、、、。
つづく。