ポルシェ ターボ
ああ、なんて響きのいい“ことば”でしょう!
ポルシェファンには、ターボが付かなくても“ポ”とか“P”のイニシャルが目に入っただけでもドキドキしますよね!
小学校時代では、片思いの彼女の苗字が本の中にあったりラジオで聞いたりしただけでもドキドキしたあの気分と同じ感触です。
それくらい気になる言葉ですが、音でも心地よいのです、ファンにとっては、、、。
何度も言いますが自分は、ポルシェが死ぬほど好きではありません。
前の会社にいたころは逆に敵でしたので、坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い、、、てな感じで毛嫌いしておりました。
それくらい完璧なレース運びをする車両でしたから、、、。
レース前半は、962Cは後方のほうで頑張っているのですがそんなに気になる相手でなく、敵はニッサン、そして周りのトヨタCカー軍団でしたので、、、。
しかし、500Kmくらいのレース後半には気が付いたら我ら車両の背後にいたりします。
で、ボンミスでもあれば逆転劇の始まりです。
叩いても壊れん怪物でした、あのころは、、、。
だから、その会社、要はポルシェ社が発売している911などは兎に角気に入りませんでした。小癪な奴であります。
こうやって作文してるしりからその当時のことが思い出され文章からして興奮してしまうくらい、怖い存在でした。敵に回したくない相手NO,1であります。
ですから、アイメックが発足してもまさか今日のようなポルシェショップになろうとは夢にも思いませんでした。
昨日の敵は、今日の友とでもいうのでしょうか、、、。ポルシェはそう思ってないでしょうが、、、。
サード時代、初めてのお客さまがその当時VWシロッコ1977年ごろの車両ですが、ターボを付けて欲しいといって来られ、Kジェトロニックに四苦八苦し、エキマニやフロントパイプ、その他全てを手作り完成したのやく2ヶ月かかりました。いやもっとかかったかも、、、。
で、そのお客さまがそのあとカレラRS2,7をその当時600万円で中古を買われ、それも面倒見させてもらえたのがポルシェとの付き合いでした。
もちろん今では2,7RSといえば誰しもが欲しがり、漫画にも登場した名車ですが自分は全く興味無く、その当時はセリカ18RGやDR30のNAなどにKITを開発の為、日夜本当に寝食もおしんで毎日朝は6時から夜は翌朝まで工場にこもり、まだ独身だった時などはアパートに帰るのも面倒な為、工場内に簡易ベットを持ち込んで仮眠しました。
まあ、若かったから何とも思いませんでしたが、会社の社長さんもよく理解してくれてました。半分趣味の延長みたいな感じでしたから、、、。
そうこうして平成2年からアイメック設立となりますが、ターボずめの生活は変わりませんがポルシェに関わるのは、又あのシロッコのお客様でした。
今度は964Cを中古で買うのでこれを何とかしてという相談でした。
そのころは国産車中心でしかも純正ターボ車オンパレードでネコも杓子のターボ装着して、ターボ付いてねば車じゃあるめェ!なんて東北弁なまりになります。
それくらい毎日ターボのチューニングに明け暮れてました。
そこへNAのそれもあまりすきでねェポルシェときた!
気はすすまねんど、彼の頼みじゃ仕方あるめ!なんて役者じゃありませんがいやいや取り組んだのです。ちっともポルシェが面白くありませんでした、、、。
その当時は、ゲンロク誌の仲間もみんな旧知の仲でしたので964やるんだけんど、取材ばしてくれんかの!と頼んだら、それならロングタームやりましょなんて気軽に受けていただきましたので、ほんの1回のつもりで小手先チューニングで逃げようとしたのがエライことになっちまったがや!(方言もくっちゃくっちゃで)であります。
本気出さねばと始まった取材には、最初のころは気が進まなかったのですが964を触り始めて色々なことに気が付きました。
別に自慢してるわけではありませんが、基本的には自動車という枠のなかでの設計なのですから、例えばプロのギターリストが新しいメーカーのギターを試しに演奏してもすぐにその素性を見極めるのと同じで良い物はやはり良いのです。で、素性はすぐ解るのです。
食わず嫌いのポルシェが自分の中でこりゃすごいわ!と毎回言わしめました。
まあ、当たり前のことですがアウトバーンとドイツ人に鍛えられた車両がこのオイラにも強烈な印象を与えてしまったのです。
つづく。
追伸; 2006年は、皆様どうお過ごしでしたか?自分は相変わらずでした。
会社の方は、本日で年内終了とさせていただきます。2007年は、1月7日から仕事始めです。おかげさまで今年は、社内では事故やトラブルなども無く平穏無事にやっていけました。
2007年が皆様にとって良い年でありますようにお祈り申し上げます。