1970年式 911Tです。
シフトレバーの不具合か、1速、4速の両サイドに
シフトレバーを動かしても、ギヤが入りにくい症状があり、
それの原因を見つけ、対策しました、、。
そして、純正部品が良く消耗するということで、純正
部品を注文しました。
現在でも、PJ(ポルシェジャパン)に在庫有です。
右が新品です。
テーパーボルトを撮るのを忘れましたが、、。
絵を見てください、下側が新品ですが、最初からゴム
シールは、横方向に楕円の隙間があります。
組み付けてあった部品には、きっちり隙間無し!
これは、当時の2,2Lエンジンが、柔らかにエンジンマウント、
ミッションマウントの為、加速、減速中にエンジン、ミッションが
激しく動くため、逃げが最初から作ってあるのです。
シフトリンケージも、通常なら、絵のようなテーパーピンで、
半固定にして、逃げをあらかじめ作ってあるのです。
ので、ある程度走行すると、左のようにアルミケースの
テーパーピン固定のねじ部が衝撃などで、削れて逃げを
作ってしまうようです。
ドイツ人の質実剛健からは、想像出来ない対策です。
組み付けた後、試乗して、シフトレバー位置も微妙に
調整し、1速(運転席手前、左にシフトするので、レバーが
シート右単に当たりそう)の位置を決めてから、リンケージを
固定します。
絵を撮るのを忘れ、ゴムカバーを組み、タイラップで、
固定してしまい、組み付け完成の絵は無し!
ポルシェシンクロは、当時、ヌカミソの樽の中に棒を
突っ込んで、こねくり回すような、グニャグニャなので、
生沢徹さんも、1967年の日本グランプリで、高橋
日産R380ーA2に追い回された時、ポルシェカレラ6は、
ミスシフトして、リヤタイヤをロックし、スピンした
お話は、そう、有名であります。
当時は、ポルシェオーナーの皆さん、3速から、一番
右側の4速に入れようとして、そのまま、2速に入り、
エンジンをオーバーレブさせ、エンジンバルブを曲げて
入院と相成ったのであります。
1967年第4回日本グランプリのお話、、。
906生沢選手と、R380-A2高橋選手の富士の30度
バンクで、、。
テールツーノーズの戦いは、生沢選手のミスシフトで、
終わりました、、。
そのレースで、某T社の陰謀とも噂された、三船さんが
マネジャーとなって、北米、ピート、ブロック氏、デザイン
製作された”日野サムライ!”です。
今見ても、カッコイイ!
日野自動車は、当時、某T社に吸収合併される時期で、
これが出たら、日野の自動車のイメージが上がるということで、
車検で難癖付けて(実際、オイルパンが規定値より低かった
そうですが)、結局、レースには参加出来なかったようです、。
実際は、練習走行でも、危なっかしい走りで、まともには
走行出来なかったなどという、情報も、、。
アタシの私見ですが、これのホイールデザイン、どれかに
似てませんか、、。
1975年、シグマに入社、2年目に、名古屋のとある
中古車やで、見つけ、20万円で買った、アタシの初の
4輪車、ブルバード510 1800sssに、ハヤシ
ストリートのアルミホイールを買って付けました、、。
ピート、ブロックさんは、コブラ427で有名な、
シェルビーアメリカンの、キャロル、シェルビー氏の
もとで、働いた時期あり、そのとき、デイトナコブラ
をデザインされてます。
この車両は、当時、1966年、第3回日本グランプリに、
今は亡き、酒井正さんが、乗ってレースに参加してます。
当時、デイトナコブラ(デイトナクーペとも)は、酒井正さんが
購入した車両も含め、試作も入れて6台が製作されました。
デイトナ2000km(デイトナ24Hになる前)や、ルマン
24Hに参加、、。
レストアなされた車両で、シューマッハ兄も所有していたとかで、
現在、数年前にも恐ろしい金額で、競売にかけられました。
グッドウッドにも、6台勢揃いしてお披露目してます、。
お話が、脱線するツルタでありまする、、!
昔のことは、昨日の事の様に、鮮明に思い出すので
あります、、!
つづく。