昭和43年8月1日、初版発行 発行所 三栄書房
初代社長の鈴木修さんが、製本に努力された、、。
当時の定価が、320円。
アタシが、高校1年生。
当時は、アタシャ、レーシングカーに狂ってました
から、この本は、待ちに待った待望の、、。
もちろん、生沢ボスのこの手記は、当時のオートスポーツ
誌に、毎月掲載されてました、、。

この本、アタシの実家、広島の本箱か、何処かに
閉まってるはずですが、、。
最近、ネットで調べたら、2万数千円してました。
で、この本は、友人が持っていまして、お借りしました。

カバー裏に、紹介されてる大藪晴彦氏のコメント。
先生の”汚れた英雄”は、何度も、読み返しました。
大藪氏には、何時だったか思い出せませんが、
まだ、東京オートサロンショーが、エキサイティング
カーショーで、場所は、築地のドーム館(今は無し)
で、何処かの場所で、3人くらいとお話されていて、
握手を求めたのです。
写真や、著書の内容とは違い、物静かな、その辺にいる
オッサンって、感じでしたが、喋ると何か貫禄
ありました、、!

そして、滝進太郎氏と、、。
滝氏とは、ある年のルマン24レース、開催中に、パドック
裏で偶然、お会いしました。
ル・マン、ACOの関係者として招待されていたのです。

今は、どちらも鬼籍に入りました。
生沢ボスは、超元気の82歳でありまする。

昔のお話が、大好きなツルタであります。

話は変わって、、。
2月3日、午後2時、エンドレス社会長、花里さんが
永眠されました。

ブレーキパットメーカーの樫山(現在のMKカシヤマ)に
在籍して、そして、独立されて、まだ日が浅かったころ、
お会いしました。
多分、シグマオートと、ブリッツ立ち上げのころで、
アタシがドリルドローターをシコシコ穴あけしながら、
一品ずつ、加工していたころ、量産しませんかなどと、。

開発者であり、ドイツ、マンタイ氏に、24H使用出来る
焼結剤の耐摩耗性が良い、パッドを納入してます。
そう、ポルシェGT3で、5年連続総合優勝(ニュルの)の、。
それ以前には、まだ、開発中でしたが、確か、トヨタ
95CVのレースカーにも採用され、ル・マン24H
レースに使用、確か、練習時か、パットと裏金が
原因は分かりませんが、剥がれたことがありました。

ご冥福をお祈りします。
次々、知人、友人が、あちらの世界に、、!
さみしいね!

つづく。