スティーブ、マックイーン その男とル、マン!
英語タイトルもそのままの、、。
アタシは、この映画が昨年国内で上映されたことを
全く知りませんでした。
で、数日前、ケーブルTVで放映しており6月には、
2回放映した最後の日の終了5分前に、たまたまお休みで、
昼からビールプシューと、、、。
で、ケーブルTV局にすぐに、電話、、。
次は、何時放送ですか、、!
なんで、事前告知が無いの!などと、因縁を、、。
それで、早速、アマゾンさんで、ブルーレイというヤツを
代引き(カード決済が嫌)で、、。
今朝、大体いつも3~4時には起きるのですが、多分興奮
していたのでしょう、AM2;00に目が覚め、そのまま、
見ました、、。
最近は、8時過ぎには、オネンネなので、、。
内容は、存在自体が危ぶまれていた”栄光のルマン”日本題名、
の撮影時の秘蔵映像がひょんなことから発見され、
それらをデジタル化して、記録映画になってる内容です。
アタシは、一応マニアで1971年当時、封切映画”栄光の
ルマン”は、917は、こんな排気音がするのかなどと、
当時、2本立てが常識の広島の映画館で、1本のロード
ショーを確か、立て続けに3回くらい日を変えて見たような、。
当時、2本立ての映画など、途中入室、退場は当たり前で、
現在のような、総入れ替えなどありませんでした、、。
ポスターも、スティーブ先生!がコクピットから前方を
見つめてる絵を買いました、縦横畳半分以上の大きさの、。
本も、スティーブの愛車とかいうヤツなど持っていますが、
今回のルマン撮影時の内容や、どうしてニール、アダムス
奥さんと撮影中に離婚したか、、。
この撮影終了以降、一切4輪のレースに参加してなかった
理由、もちろん、たくさんのどうして?という理由が
全て繋がり解けたのでした、、。
全体には、当時の方々のインタビューもふんだんにあるの
ですが、やはり皆さん、あれから45年以上経過してる
にもかかわらず、鮮明に、そして今は穏やかにお話されてる
のは、やはりスティーブ(呼び捨てですみません)の純真な
気持ちが、当時は理解出来なかったのに、今はすっかり
理解出来たと、、。
当時、高校生のアタシは、もう感動していて内容など、
恋愛とか、ライバルのフェラーリのドライバーの顔も
覚えてないくらい、マシンのみを凝視していました。
自分の思い描いた映画を監督、脚本、主演を思いどうりに
描こうとして、事故や製作費超過でそれらを諦めなければ
ならなくなった過程がヨーク分かりました。
荒野の7人、これは主演のユルブリンナーを食っちゃう
強烈な個性で成功し、大脱走でバイクファンを魅了させ、
ブリッドでは、ムスタングで4輪の過激な追走シーンの
先駆けとなり、絶頂期を迎え、そしてルマンです、、。
もう、スティーブ、マックイーンのファンの方は、涙
無くしては(大袈裟)見れない、感動ものでした、、。
レースをかじったツルタとしては、彼のその後の行動が
ヨーク理解出来ます。
最愛のニール、アダムスさんに、愛想をつかれたその辺から、
人生が変わっていったように思われますが、、。
兎に角、50歳の短い人生を駆け足で過ぎ去った彼にとって
何が大事であったかを、後悔しながらのこの世を去ったのでは
と、、。
それは、やはり幼いころの不遇な家庭環境が根幹にあって、
大事な者をを無くしたことの要因が自分自身にあった
のだと、気づいた時には、、。
TV映画”拳銃無宿”で、アタシが小学生の時、初めて彼を
見ました。
ランダル銃カッコ良かった、まだ、そう、白黒で夜遅く
広島では、放送していました。
それから、荒野の7人では、、、
きりがないです、彼の事を思うと、、。
スーパースターは、孤独なんでしょうね、、。
まるでアタシみたい、、!
ブログでは、何でも書ける!
あとは、シラン!
何だか、今日は一人で怒っています!
つづく。