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ブルース、マクラーレン氏です。

ニュージーランド出身、幼い時パース病で腰の骨が
損傷し、特注ベットで寝たきりの不遇な経験をする。

オーストラリア人(同じオセアニア)のジャック、
ブラバム氏に認められ、イギリスにニュージーランド初の
有望なレーサーをイギリスに留学させる第1号となる、。
以下、ウキペデアを参照願います。

DVDは、9月6日に発売されましたが、国内では映画の
上映は無かったようで、、。
7月頃、それを知り、待ちに待ってお家で連続して2回
見ました。
伝記物でありますが、アタシには、生沢徹氏に次ぐ、尊敬
するドライバーであります。

当時、まだ、小学5年生だったと思いますが、広島でも
スロットカーが大流行、、。
その為、小学校は、スロットカーを走らせるサーキット(
現在と同様の)への入場を禁止にしましたが、、。

タミヤ製エルバ、マクラーレンというKITを初めて
購入しました。

MiB

エクゾーストパイプが斜め上に8本、独立してそびえる
独特ナスタイルで、、。

ブルース氏が、イギリスに渡り、クーパー社からレースに
参戦、そして、独立してマクラーレン社を作って、、。
F1,カンナム、そしてインディー500と当時の
レース界のトリプルクラウンを制覇しました、、。

自分のティームで自分の名前のレーカーで、そして本人が
F1で優勝したのは、先輩のブラバム氏に次ぐものでした、。

トヨタ自動車が、ヤマハやダイハツと協力して、トヨタ7を作り
ターボ化して、カンナムに参加しようとしましたが、そのころ
すでに、マクラーレン社は、カンナムの王者でした、、。
この差は、なんでしょう、、。

一人のレーサーが作った車両が、トリプルクラウンなどと、、。

そして、カナダ、ヨーロッパをトンボ返りしながら戦った
1970年6月2日、グッドウッドのテストで、M8シリーズの
ハイウイングが禁止になり、リヤカウルにスポイラーを戻した
使用でテスト走行していた矢先、ダウンフォースを増そうと、
スポイラーを最大角度を付けてピットアウトしてすぐ、その
ダウンフォースに耐えきれず、リヤカウルが吹っ飛んだそうで、
コントロール不能のまま、運悪くコース脇の撤去する予定で
あった、小屋に激突してあっけない、32歳で、、。

マクラーレンのカンナムカーは、M8Dと最後まで、ポルシェの
ターボカーが出現するまで、圧倒的強さでした、、。
相棒のデニス、ハルム氏といつも、レースはワンツーと、、。

日本の初期のグラチャンでも、酒井正氏と今は、セルモの佐藤氏の
マクラーレンM12で怒涛の大活躍でした、、。

話が、いっぱいあって書ききれません、昔の思い出が、、。

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1995年8月のヨーロッパBPRシリーズの鈴鹿で
ポッカ1000kmレースのショットです。

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フランス人ティームのファビアン、ジロア氏と
スイス人、ジャン、デニ、デルトラス氏に日本の
吉川とみ子氏が加わって、マクラーレンF1GTRで
参戦したときです。

初めて見たF1GTRは,まるで芸術品かと思うばかり
の美しさで、カーボン地が室内やドア内側まで、、。

この車両は、ガラスのミッションと言われ、前月のルマン
24Hレースでは、アタシも参加してましたが、殆ど
雨のレースで、初出場のつや消し黒のマクラーレンF1
GTRが、関谷氏のドライブで総合優勝しましたが、、。

鈴鹿では、案の定、ミッションのカウンターシャフトが
ひん曲がり、シフトしにくくなりました。
ばらして気が付いたのですが、、。
ミッションは当時のF1に習い、横置きの小さなケースに、。

そこに、若いマクラーレンのエンジニアがやってきて、
アタシにこのシャフトをどうにか修正出来ないかと、。
スペアパーツは無かったのです、、。

その時、アタシは、無理だと思う!と弱音を吐いたら、。
”It,s difficult, but possible!” などと、、。

アタシがカッコよく訳すると、難しいけど、出来る!
(単なる、直訳で!)
ということで、、地元の知人のウエストレーシングの
神谷社長にお願いしたら、何とかすると、、。
4時間後に来て!、、。
そう、ウエストのメカさんが、手曲げで直しちまって、。

それをピットに持ち帰ったら、彼は、一言サンキュー!と。

結果は、途中で松ちゃんコーナーアウト側にコースアウト、
ジャン、デニのドライブでしたが、彼は、前に遅い車が
などと、、。

ブルースは、」
32歳の若さで、あっけなく逝ってしまいましたが、DVD
インタビョーにもありましたが、社員の方は、ブルースが、
砂漠を横断するといったら、もちろん俺たち全員付いて
いくよ!と、、。

アタシが、同じように逝ったら、アイコードの深愛なる
社員の方々は、どう行動されるでしょうか、、、!

ま、そんなことより、社員の奮闘、努力も物凄いものです。
F1とカンナム、そしてインディ、その間に販売して
カンナムカーの製造、メンテナンス、、。

当時数10人で、それを回していたそうで、、。
もちろん、ブルースは、何時寝てるんだろうと、、。
アタシが昭和48年、シグマ(現サード)に応援に行っていた
ころ、GC73と、ルマン用MC73を製作していましたが、
20数名いましたが、連日の徹夜で、レース参戦前など
3日間くらい、本当に皆、寝てません、、。
そのまま、サーキットへトラックで、、。
凡ミスでリタイヤしていましたが、、。
彼らを、それを海を渡ってカナダなどで、連戦、連勝、、。

また、彼は、まだマクラーレン社を立ち上げて間もないころ、
フォードからの依頼で、GT40の開発テストも請け負い、
会社経営の資金にしたとも、、。
尚且つ、運良く1966年総合優勝してます。

GT40マークⅡで、、。

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アタシ、色々持ってるでしょう!!!

マクラーレンM1BからM6,M8Dまで、完璧な
仕上がりです。

ライバルとして、GMがバックのシャパラルも凄かった
です。

これは、今は亡き、御殿場のマッドハウス杉山氏が生前、
シャパラル2Hを縮尺して製作されまして、アタシも
そのドライバー後ろの整流版の効果を詳しく説明受けました。

chapararu

話は脱線しますが、マクラーレン社はブルースの意志を
継いで、現在、ストリートカーも製造するスーパーカ
メーカーにもなりました。

上には上がいるもんです!

アタシは、まだまだ修行が足りませんであります!
今日も、お酒飲んで、8時には眠ります!
夢の中で、夢想します、レーシングカーを作って
レースに出て、優勝してるのを、、、!

つづく。