フェラーリ 356GTB/4.
通称、デイトナと呼ばれてますが、1968年から生産開始され
北米のデイトナスピードウエイで開催される”デイトナ24H
レース”に参戦しました。
当時、フェラーリは、330P4などプロトタイプGT
カーでレースに参戦してました。
アタシが1966年のルマン24Hで、フォードGT40と
330P4が参戦したレースの絵を当時のカーマガジンという
雑誌で初めて見て、感動、この世界に入りたいと、、。
その当時、デイトナが製作したレース用アルミボディーの
唯一ストリートモデル、そう世界で1台のデイトナが
先日、日本のあるところで40年ぶりに発見されました。
9月9日に、オークションで170万ユーロ、約2億2千万
円になるであろうと、、。
全くの、現状で、、。
デイトナといえば、ロレックスの時計も良い響きです!
絵は、左から2007年、2009年、2017年、日本
ロレックス社が出したカタログです。
2009年から8年経過した現在のカタログの厚さが、
ロレックス社の勢いを物語っています。
アタシも縁あって2008年に1ケ購入出来ました。
でもって、その後また、予約してまして約10年目で、、。
2017年のベゼルがセラミックスになった最新モデル
を手に入れましたが、そう10年も待って、、。
それは、友人に回しました。
アタシは、時計が趣味ではありませんので、、。
当時は、予約出来ましたが、最近はアタシが通ってる
”ハッシン”さん(名古屋、大府にあります)の正規代理店
さんで、聞きましたら、今後、予約は受けないそうで、。
現在、お待ちになってるお客さまが数百人とか、、。
何時になるか分かりません!と、、。
先日、時計修理の件で、友人の時計を直しに、名古屋の
”コメ兵”さんにいったら、ありました、、。
現行モデルのデイトナ、ステンレス製が、、。
200万円、、。
正規モデルの定価は、それよりもっと低いです、、。
アタシが買ったときは、もっと安く、、。
アイコードの商品で、10年も待てるような商品を
どうやって作ったらよいか、などと、、。
アタシは、時計など全く興味など無く、動けば良い
位にしか思ってませんでしたが、2000年のデイトナ24H
レースに絵のように、ドイツ野郎の友人のティームと
一緒に、ポルシェ993GT2で前年のルマン24H,
冨士ルマン1000kmに続けて参戦してまして、勢い
で、この年、アメリカのデイトナまで行きました。
当時、ポール、ニューマン氏は御年70歳の最高齢で
ポルシェ996GT3Rのデビュー戦で参戦していまして、
偶然、キャンプカーの敷地でお会いし、後で聞いたらまず、
写真撮らせないポールが、何故か、いやいや、、、。
それからポールの事、色々調べましたら、そう、この
ロレックス デイトナの歴史に大きく関与していたとか、。
それで、当時、やはりデイトナはすぐには手に入らない
状態でしたが、ある友人が、日本ロレックス社の幹部を
知っていたことから、購入出来ましたが、それでも、
1年以上待ちました、、。
また、デイトナは、縁がありまして、平成3年、1991年
の春、1か月、北米を気ままな旅行をしました。
京都の橋本コーポレーションさんのご子息がLAに
住んでいた為、そこを頼りに、日本で、当時発足間もない
HISでデルタ、エアーの航空券を購入、、。
すると、営業の方が、当時、1か月間、海外旅行者に限り、
北米&ハワイのスタンバイパスなる物が、確か5万円で
オプションで購入出来ると、、。
これは、空席があれば、カウンターに行って、その場で
国内の飛行機がいつでも乗れるチケットだったのです。
カウンターのお嬢さん達も、珍し気にチケットを凝視して
いました、、、。
渡航中、アタシが好きなだけ各地のエアポートから、あちら
こちらと北米を縦横無尽に往復しました。
その時、デイトナスピードウエイにも寄りました。
デイトナのホテルに泊まり、デイトナビーチを歩きました!
007ゴールドフィンガーに出てきた、ホテルにも、、。
ついでに、レンタカーを借り、フロリダキーズと言われた
7マイルブリッジで有名な、橋を渡り、突端の島まで行き、
サンセットクルーズとへミグウエイの猫屋敷も見学しま
した、、。
そう、デイトナに関係して、何か縁を感じたのであります!
デイトナといえば、バイクのチューニングパーツを販売
されてる国内大手の会社の初代社長さんが、阿部さんと
いいます。
阿部さんとは、昭和53年頃、カワサキのZ2というバイクに
ターボKIT開発で、初めてお会いしました。
バイクにターボを組み付けるのに、色々苦労しました。
結局、FISCOでそのバイクはモーターサイクル社の
ライダーと共に、ストレート、250km以上で
振動の為、転倒、バイクは金属の塊となり、本人も、
死をさまよう、重傷をおいました、、。
ターボKITは、その結果、キケンであろということで
発売中止となりました、、。
阿部さんに会社の名前の由来をお聞きしたら、ヤマハ時代に
レースメカニックをして世界を転戦していたそうです。
デイトナ24Hレースにも参戦、、。
そうして、独立され迷わず”デイトナ”と、、。
日本人にとって、デイトナとは、ロレックスのイメージが
大変強いですが、レースの世界では、トリプルクラウンと
いって、世界三大耐久レースでは、当時ルマン、スパ(
ニュルは当時、草レースで)、そしてデイトナでした。
この三大レースを制することが、レーシングドライバーの
憧れ、夢、目標でありました、、。
そして、フェラーリが正式名365GTB/4と命名され
ても、世の中ではデイトナと当たり前のように呼ばれて、。
友人のY氏は、三栄書房時代、オプション誌の編集員
でしたが、縁あって、他社に移動、そこで、デイトナという
雑誌を創刊しました。
そう、現在、所ジョージさんが出ているあれ、、。
創刊当時、アタシも色々取材協力しました。
Y氏は、デイトナ誌編集長時代、彼の趣味でもあった
2輪で、そうあのデイトナ24Hレースに参戦しています。
バイクのデイトナ24hレースも開催されてるのです、、。
デイトナのお話でありました!
まだまだ、続きますが、、。
つづく。