シャシーナンバー 91012
ポルシェカレラ10 正式名称 910 No,12号車
総生産台数 28台のうち、最後のワークスカーでした。
ユーチューブに動画をUP致しました。
この動画は、友人に英国人から送られてきた物です。
1967年 タルガフローリというレースに、6台のワークス
910が参戦。
218号車は、ジョー、シファート氏と、ハンス、ヘルマン氏がドライブ、、。
総合6位入賞とか、、。
そして、翌年1968年、当事のディーラー”ミツワ”を通して、滝進太郎氏
率いる滝レーシングティームに納車されました。
当事、ポルシェワークスは、ワークスカーとして一度レースに参戦すると、
その車両は、オーバーホールした後、プライヴェートティームに
売却するシステムになっていました。
1968年の日本グランプリは、トヨタ7(3L)と日産R381のTN戦争ともいわれた
大激戦の中、フジには、約10万人が集まったとか、、。
レースは、480kmの長距離レースですが、生沢氏は一人で走りきりました、。
もちろん、R381で優勝した北野元氏も一人で、、。
2時間40分,80周(30度バンク、6キロコース)を、、。
今では、規定周回数違反で、、。
当事、テレビで放映されましたが、興奮しながら見た思い出が、
未だに鮮明に覚えております!
その時、910ドライバー、生沢徹氏は、並み居る強豪を抑え、総合2位で、。
前年のカレラ6でも総合優勝し、一躍時の人に、、。
91012車両の経歴は、現在オーナーであるY氏でさえ、前年にタルガに
出てリタイヤしたと聞いたくらい、不鮮明でした、、。
ジョー、シファート氏は、917に、ハンス、ヘルマン氏は、908で
翌1969年、フジの日本グランプリに出場してます、、。
この時は、黄色いR382の黒澤元冶氏が優勝、、。
またしても、トヨタ7(5L)は、後塵をあびせられました、、。
ま、こんな昔話を今頃されても、、!と、ジブンよりお若い方には、
ピンとこないでしょうが、記憶が忘れ去られないようにと、、、、。
爺の四方山話とお笑いください!!!
つづく。