そんな悠長なこと言ってられませんが、被災地の皆さんのことを思うと、、、、。
今はただ、全ての復興が速やかに行われることを祈るばかりです。
私事ですが、十数年前に80才前で亡くなりました実父は、第二次大戦の広島原爆投下で、昭和20年8月6日、その当事父は、疎開して広島の田舎で教員をしてましたが、3日後に広島市内に救援の為、駆けつけました。
その惨状は、最後まで自分たちには一言も喋りませんでした。
もちろん、親戚、知人と亡くしております。
衣服の一部が、原爆資料階に展示してるのを見たことがります。
自分が小学生になって物心ついたころには、盛んに原爆での被害状況など、後世に残そうとしたのか、色々やっていたのを記憶してます。
で、父は、その3日後に現地で放射能や、黒い雨を多分浴びていたでしょう。
だいぶ後から知ったのですが、原爆病認定者の原爆手帳を貰っていたのです。
なくなる前の5年くらいは、老いも手伝って病院の入退院生活が続いておりましたが、原爆手帳はその当事、病院が混んでいても、いの一番に入院させてくれるものでした。
そのお陰で、入院生活は、家族にとっても助かったそうです。
なんせ自分は、親不孝して愛知県、豊田市の住人になっていましたので、、、。
盆と正月しか帰省しておりません。
また、放射能や黒い雨を浴びたであろうその父が、その後結婚して6歳上の兄、5才したの妹と3人兄弟の自分たちですが、幸いにも白血病などの原爆病に起因する病気にはなりませんでした。
もちろん、当人も至って健康でしたが、一つ、目の病は持っていたようです。
自分が小学生のころから目医者さんにはよく通い、いつも月光仮面のようなサングラスを掛けていました。
ま、そんなことで自分は、多分被爆者の子供、子孫ですが今のところ何とも無いです。
自分の子供にも、、、。
経験談を語りました。何の慰め、参考にもなりませんが、、。
つづく。