991T 1971年モデルです。
クラッチトラブルで、クラッチ系を総替え、。
ミッションの入りは、格段に向上しました。
ので、納車ということで、オーナーさんにご来店を、。
すると、何故か、左ウインドウのパワースイッチを
入れても、全閉から下がりません、。
何度か、トライしても、。
窓ガラスを両手で、内外からエイ!と下に押さえつけ
ても、びくとも、、。
パワーウインドウのスイッチを入れると、ウイ!と、
で、その日は、納車を断念。
代車で帰ってもらいました、、。
内張をバラして、パワーウインドウのリンク系を
全体的に緩めました。
そしたら、そう、動き出しました。
どうも、この時代のパワーウインドウのレギュレター
機構は、ギヤがかみ合って、ロックすることが多く、
パワーウインドウをいっぱい上げたり、下げたりする時、
パワースイッチを長く押さないように、気をつけないと、、。
そう、エーチャンみたいに、”ロックしようぜ!
ま、御年50歳のおばあちゃんなので、、。
アッチコッチ、ガタが出るのは当然であります。
耐久レースでは、有りませんが、ジーと我慢して
マイナートラブルを克服することは、クラッシクカー
オーナーさんには、必要条件でありまする!
昨日、EWCボルドール、24H耐久レースは、
フランス、ポール、リカールで、開催され、友人、鶴田
竜二さん率いる、トリックスター&フランスカワサキ
ティームのZX10は、200ラップ付近で、リタイヤと
なりました。
優勝車両は、ヨシムラティームが日本から、現地ティームと
合同のスズキです。
前回のレースに、続き、2連勝だす!
ポール、リカールサーキットは、よくルマン参戦のティームが
テスト走行で使用します。
それは、サーキットの直線が1,8kmと富士と同じ、
長いからです。
あたしも、当時、BMWM5で、助手席登場で、数ラップ
体験しました、、。
その時の運転手は、ル・マン参戦の猛者で、フランス人
ドライバー、アラン、フェルテさんです。
M5で、英語で、ここはコウダ、あそこは、アーダと、優しく
解説しながら、、。
サードのMC8のテスト時です、。
同日に、ニッサンさんが、今は退社なっさた方で、
当時は、筆頭エンジニアに水野和敏さんが、おられました。
1995年、ニッサンさんは、水野さん率いる、R34
GTR LM-Rで、参戦。
そのテスト走行で、来られてました。
アラン、フェルテさんは、ル・マンのセッティングについて、
こう語っておられました。
”ルマンは、ステアリングフィールは、アンダー気味が良い!
と、、。
彼は、ポルシェ962C、ジャガー、ザイバーなど、
ワークスカーにのって、1994年には、ポールポジションを
獲得してます。
なので、アタシも、ニュルブルクリンクなどで、走行する
ときは、アンダーを出して、スピンしないよう気を付けてます。
ISFのCCSRで、VLN耐久レースに、夏の6時間で参戦させ
ていただいた時は、やはり、緊張していたのか、アクセル
開度が、早すぎて、オーバーになり、カンターステアを
当てることが多かったです。
ま、ISFが、乗りやすかったので、調子に乗って、アクセルを
アホみたいに、ガバーとコーナー終わる前に、踏んでました
ので、、。
速い運転士は、それをも、駆使してコーナリングしてます。
やはり、アタシには、プロレーサーは、無理!
ということに、やっと気づきました、、。
ま、そういうことです!
自信過剰、妄想大好き、つまり、ノーテンキツルタで
ありまする!
つづく。