トヨタ
2000GT 前期モデルです。

フレームとボディーが、合体しました。

長老I氏曰く、”おい、ツルタ君、マル1日かかったぞ!”
と、汗びっしょりになった、メカニックスーツの下の
肌着を見せながら、、。

”フレームとボディーの固定用ボルト穴が微妙にずれるので、
おうじょうしたわ!”などと、、。

手作りの良さなのか、フレームの右側と左側の組み付けボルト
M10のボルト穴位置が、左右でも微妙に違ってるとか、、。

当時の職人技が、想像出来ます!
新車価格が、238万円!

生沢徹氏が、第4回日本グランプリで、日産R380を
下して、優勝した時の賞金が(下世話ですが)150万円。

1967年当時の初代カローラが、40万円だす!!
昭和42年、アタシが中学2年生、夕刊配達(朝刊ではない)で、
月に、1500円頂いてました、、。

小学生から入隊した、ボーイスカウトが、確か、月の月謝、
800円だったと思いますが、定かでは、、。

当時は、外国に持ち出すお金、500ドル、、。
1ドル=360円の時代です、、。

レギュラーガソリン 1L=50円くらい、、。
有鉛ガソリン(鉛入り) 10円アップ、、。

それでも、2000GTの製造原価は、販売価格を
上回っていたそうで、売れば売るほど赤字、、。

337台は、早く販売停止に、首脳陣はしたかったでしょう!
それが、証拠か、北米でSCCAのスポーツカーレース参加で、
良い成績でしたが、ポルシェ911のエンジン排気量アップ
に、対抗せず、1年で参加中止となりました。

2000ccを排気量アップすれば、対抗出来ましたのに、。
現に、コストダウンで、2,3Lエンジンも搭載した試作が、。
ま、メーカーさんにも、色々事情があるわけで、、。

その点、技術の日産(プリンス技術陣も)は、Z,スカイライン
と、輸出も好調な、歴史に残る偉大な車両、エンジンを世に
送り出して、現在でも、レストアされた車両が、北米、欧州、
オーストラリアと、大活躍してます、、。
いまだに、パーツは何でも出てくるそうで、、。

三菱が作った名機、”ゼロ戦(レイセン)、中島飛行機の
空冷星形14気筒エンジン(三菱より、性能大)、など、
日本に工業技術は、真似から始まりますが、本物を超えて
世界を驚かせました。

現在、世界中の過酷な場面で、国産車は必ず、登場します。
そんな時は、先人たちを尊敬致します。

コロナ、くそったれ!であります、、。
何時まで続く、このパンデミックは、、。
そろそろ、トリックが誰かの手で、ばらせないかと、、。
まずは、感染しないよう、させないよう、行動半径を
自粛いたしております、、。

つづく。