カワサキ Z2です。
昭和53年頃、2輪パーツ販売のデイトナの初代社長さん
阿部さんから、リクエストあり、北米で、販売されてる
吸入式ターボKIT(ハーレー用)を真似て、Z2で、出来ないかと
この吸入式は、当時の北米のKITでは、常識で、ターボの
吸入口前に設置して、吸気と燃料を同時に吸って、インテークに
ぶち込む、単純なシステムでした。
これは、北米ならではで、アクセルレスポンスなど、あったもの
でなく、加速か減速か、それ以外は、エンジンに聞いて!

で、デイトナさんからの依頼で、キャブターボの加圧式を
製作依頼され、一生懸命製作しました。

まだ、オイラが、24歳くらいの時だす!!

キャブの前に、アルミ製サージタンクを鋳物製作しました。
エキマニは、アタシが、焼曲げして製作。
エキマニ集合部分の内側にステンレス製センサーが組まれて
ますが、これは、燃調を調べる為の熱伝対用センサーで、
排気温度を調べる為に、。

キャブターボの燃料供給システムは、非常に複雑で、
4輪のキャブターボ(当時は、それが主流)と、おなじ流れ
で、EFI用高圧燃料ポンプ、外付け用、当時は、燃料ポンプ
は、全て、燃料タンクの外側に組まれてました。
それと、燃料圧力を調整する燃料圧力調整装置、フーエル
レギュレターが必要でした。

EFI用燃料ポンプは、キャブ用と違い、インジェクター用の
高圧に耐えるよう設計されてます。
それを、キャブ様に、レギュレターのダイヤフラム部分を
割って、スプリングを弱いものに交換し、通常2,5気圧
の物を、0,35くらいに落とすのです、。
そうしないと、キャブのフロート室に送る燃料圧力を
下げないと、オーバーフローするからです。
また、ブースト圧が掛かると、キャブへの燃圧も、ブースト圧
に伴って上昇させるため、レギュレターのダイヤフラム室に
ゴムホースを配管し、加圧してやるのです。
これらシステムをシートの下に収納します。

また、キャブレターのメインジェットも、其れなりの
大きなものに交換します。
ウエストゲートなど、まだ開発されてない時代で、ブースト
圧は、サージタンクに組み付けて、エアリリーフバルブ
で、調整します。

このエアリリーフバルブ本体も、アタシが設計し、
安城市(豊田の南)にある、木型屋で製作、そして
同じ地区の鋳物屋さんに持っていき、砂型の方で、
アルミ鋳物を作り、加工するのです。
当時、何故か、シグマ社に、京セラの営業マンが飛び込み
で、営業に来て、其れまで、真鍮で中身のピストンを
加工成形してましたが、セラミックスで成形出来ます
からと、強引に頼まれ、発注した思い出があります。

ま、こうやって、ブースト圧0,9の怪物マシンが
出来上がり、日夜燃料セッティングなどで、近所を
走り回ってました。
まだ、このお話には、色々、尾ひれはひれがありますが、
今回は、割愛します。

当時、アタシのマイバイクです。
これ以外に、刀や、ドカ900SS,RZV500など、
バイク三昧を、、。

これは、ポルシェが、初の水冷4気筒、924で
アウディの2L.,4気筒エンジンを積んだ車両を
発売されましたが、東大阪の当時の正規ディーラー
”レッドライン”の村田社長さんから、依頼されて、製作
した、ターボKITです。

当時のKジェトロ燃料システムを大研究し、開発
しました。
計6台製作しました。

オマケ!

まだ若かりし頃、広島から愛知に出てきて最初に
買ったプレストロータリーの7万円の車両。
次が、絵の名古屋の中古車屋で買った、ブルーバード
510 1800SSSでした、。
当時、20万円、。
5万円の給料から、すこしずつ貯めたお金で購入。
この車両は、当時名古屋ナンバーでしたが、豊田市に
住みだして気づいたのが、対向する車両の運転手
さんたちが、皆ガン見でした。
そう、豊田市は、トヨタ車以外が走行すると、三河
ナンバーであれば、敵視したのであります。

名古屋ナンバー、最初のシグマ入社から、2年間は、
名古屋のガソリンスタンド勤務で、住所も、天白区
植田でありましたので、はからずも名古屋ナンバー、。

シグマの幹部から、”なんで、日産車など、買ったんだ!”
と、お叱りお受けましたが、加藤社長は、別になんも!

この1800CC L18エンジンは、ツレが名神で、
オーバーヒートさせ、OHしてハイカムをいれました。
510は、エエクルマでした。

おまけのオマケ。
絵のアタシが来ている黄色いセーターは、何とその
前年くらいに、ル・マン出張と同時に、ルノースポーツ
に、約1週間、当時F2エンジンの研修に行ったとき、
ル・マンで、買った、ルノースポーツが販売していた
ヤツです。
黄色が、その時のイメージカラーでした。
ルノースポーツ社では、おなじ時期、F1用1,5L
ターボエンジンをベンチテストしてまして、よう壊して
ました。
アタシは、隣のガラス張りのエンジン室で、F2エンジン(
F1と共通のV6,2L)を組んでました。
F1担当のヤツは、アタシがスパイにでも来たのかと、
毛嫌いし、見るな!などと、、。

以上、鶴田の思い出のお話。

このキッカケとなったのが、昨日の日曜日に、たまたま、
自宅の古いアルバムを見ていて、発見したのです。
このZ2ターボを、、。
すると、記憶が甦りました、。

初老の記憶力は、古いほど、鮮明に覚えておるのです!

もひとつ、アタシの特技の一つ、、。
霊感が、。
数日前、広島の親せきで、親父の妹、初谷定子さんが、
急にふっと、夢の中に出てきました。
すでに、100歳くらいですが、元気であります。
海外にもよく、お遊びに行って、、。

そしたら、昨日、広島の兄から、定子さんが、亡くなった
と、、。
どう、霊感強いでしょ、。

最近は、よく、ズーット会ってない友人を、ふっと思い
出すと、電話など掛かってくるのです。
予感霊感、何でも来い!

つづく。