944 S2です。
3L 4気筒エンジンです。
エンジンのタイミングベルトと、バランスシャフトベルト、
そして、ウォーターポンプを交換しました。

見るからに複雑です。
ポルシェ社は、トヨタ 4AGみたいに、ベルトドライブ
駆動エンジンを、このように、見るからに、、。
やはり、エンジン屋魂か、、。

ユビ指してるのが、バランスシャフトです。
4気筒エンジンの振動を、これで、解消してます。
三菱4気筒エンジンにも、このバランスシャフトが採用、、。

これが、エンジンのカムシャフトを駆動してるベルト
です。
DOHCなのに、カム1本を駆動、、。
ということは、もう一方のカムは、カムチェーンで、。
ここも、何故に、このような複雑が、、。
これには、理由があって、本来このエンジンは、928
など、V8 4,5L(発売当初、後期は、5,4L)の
片バンクを使用した為、このような形状に、、。

今回、ばらしたバランスシャフトは、いい加減な組み方で
全く、合マークを無視した、ただ、組んだだけの、、。
まあ、エンジンのタイミングは、合っていたので、エンジンが
高回転時に、振動が出るだけ、、、。

初代、水冷4気筒 924は、アウディー製のOHC
エンジンで、とても、シンプルな形状でした。

944系が発売され、最上級モデルには、お約束の
ターボモデルが登場。
1985年登場で、994ターボのレースモデルが登場、
当時、この994ターボに同クラスでは、独壇場の強さで、
ライバルが存在しないくらい、強かったのです。

この後、日産が、944ターボ打倒ということで、スカイライン
GTR R32が、登場するのでありまする。
日産は、よく、ポルシェをライバル対象として、ポルシェを
選びます。

997ターボは、R35,GTRの目標となりました。
日産ワークスの鈴木利夫さんが、当時の社長カルロス、
ゴーン氏を同乗させ、今はサーキットとしては、公認
されてない、西仙台ハイランドサーキットにて、試乗
した動画は、有名です。

1周、3,7km

この西仙台ハイランドは、アタシが、サード時代は、現役
で、グループAのレースで、セリカXXのレースカーを
走らせました。

アップダウンのコースで、今は無き、広島、呉市にある、
野呂山スピードパーク(昭和44年開業、49年閉鎖)。
まだ、高校生のオイラは、スズキのコレダ124cc、空冷
2気筒で、野呂山(標高839m)の頂上まで、通いました。
山の勾配を利用した、アップダウン(ニュルみたい)の
コースで、最終コーナーから菅生サーキットみたいに、
50mくらいの急な上りから、短いストレートのあと、
第1コーナーは、右の小さなバンクで、もうそのあと、
下っていく、1周、1700mのカートコースみたいな、・

その第1コーナー外側(といっても、コースからわずか10m
くらいに、間近に、観客場、そう立ち見の)で、見ていたら
当時の最強マシン TSサニーB110が、何か、薄い
煙を吐きながら、、。
で、後で分かりましたが、左フロントがバースト状態で、
ブレーキングしながら、アタシ達のほうへ、突っ込ん
来ました、。

ワーと言いながら、数十人が、うしろに逃げましたが、
そんな間に合う訳も無く、ひき殺されそうになった、
その時、何故か、地上1mくらいの鉄棒が数本、ガード
レール代わりに立っていまして、その1本が、TSサニーを
がっしり停めました。
あれが、無かったら、そう、アタシら数人は、TSサニの
下敷きに、、。
この体験を、当時のオートスポーツに寄港しました。
思わず書いた、実体験を、、。
すると、その月末に発刊された、オートスポーツの末尾に
ある、読者の寄稿文の中に、記載されてました。
大変、嬉しかったことを覚えてます。

当時は、まだ知る由もありませんが、戸田レーシングの
初代社長、戸田幸男さんも、ホンダN360で、レースに
参加されてました。
戸田さんとは、その後、カムや、鍛造ピストン(ISFなど)で、
お付き合いいただいてます。
最近は、電気モーターの分野にも、開発の範囲を広げて
おられるようです。
当時は、軽4のレースの盛んで、スバル360,N360,
そして、空冷3気筒とスズキフロンテSSなども、、。

ここでは、デモ走行で、トヨタ7ターボや、セリカGT
レースカーなど、走行されました。
遠くからですが、細谷氏がドライブされてました。
懐かしいのう!
そう、昔のことは、昨日のことのように、鮮明に
覚えておるのじゃ!

つづく。