高橋国光さんが、鬼籍に入られました。
享年82歳でした。

2輪ライダーで、世界戦ドイツグランプリで、250cc
クラスで、初優勝。
その後、レース中、事故を起こし、再起してから
4輪に、転向。
2輪ライダーは、当時は、4輪に転向しても、やはり
ドライヴェングセンスは、抜群。
ドリフト走行など、お手の物でした。

日産R380で、生沢徹氏と、伝説のレースを展開。
日産では、KGCP10のスカイラインGTRでの
活躍は、皆さんご存じのとうり、、。

タイサンポルシェ962Cでは、当時、タイサンの
千葉さんのもと、元のノバエンジニアリングから
独立した、中島さん率いるベネテックレーシングサービス
の、青木さん(元、トラストティームで、メカ)に
紹介され、2年間、アルバイトで、メカを手伝いました。
その時、962C 3,2L最終モデルのマシンで、
当時のCカーレースに参戦してました。
初めて、国光さんにお会いして、その優しい対応には、
王者の風格がありました。

で、962cをまじかで見て、メンテナンスをさせていただき、
エンジン降ろしが、2人で1時間以内、クラッチデスク
交換が、20分など、素晴らしい作業性に、ただ、脱帽!
サードでは、3SGTのレースエンジンを、車両から
降ろすのに、3人くらいでも、3時間以上掛かりました。
レース前のチェックも、エンジン部でも、手がどこでも
入るので、ダブルチェック以上に点検出来ます。
また、エンジンオイルなど、金曜日の練習走行
(当時は、あった)前の、木曜日にオイル交換したら、
土曜の予選もそのまま、そして、そのまま、本番も
そのオイルで参戦、。

こんな常識、サード時代では、考えられないことで、
アタシャ、一人で、フジのピット内で、一人で
エンジンオイルを交換したことあります。

もう、江戸時代の侍が、突然、現代のガンを持った
兵士と戦ってるような、、。
愕然としました。
で、ポルシェをチューンする気になったのであります。

その後は、グループAに参戦した、千葉、タイサンレーシング
は、やはり、アタシも、お手伝いで、何度か、ご一緒しました。

962Cでは、本チャンレース時には、アタシは、
車両のテレメトリーシステム(エンジンなどの各センサー
をピットで、モニタして、異変や、不調になると、ドライバー
に、指示を出す)を、担当。

フジのストレートで、中盤、ミッションの油音が、通常より
上がった為、千葉さんに報告。
すると、この場合、油音を下げる為に、どうするかというと
エンジン最大回転数を300RPM下げろ!と、指示を出します。

すると、国光さんは、イヤホーンから、聞こえてくる
返事が、優しいあの、少しハイトーンで、”了解!”
と、、。

300km以上出てる速度ですが、ストレートでも、声が
途切れ途切れになるのは、コース上でのマシンに上下動
からです。
全く、落ち着いた声でした。

ご冥福をお祈り申し上げます。

つづく。