GRヤリスです。

ビッグスロットル加工が、完成しました。

純正スロットルのポート径は、

49mm  → 51mm

直径で2mm、拡大しました。
もう一つ、加工しました、スロットルシャフトの片持ちです。

シャフトの直径、9,8mmに対し、片持ちに加工
することで、シャフトの断面の半分、約4,2mmが、
無くなり、ポート内に断面積は、約18%拡大しました。
これは、ターボエンジンでなくとも、吸入効率が、
向上したことで、低回転からトルク向上が得られます。

価格  58,000円 税別  ノーマル下取り

このような、地道な努力の積み重ねが、パワー増大に
強く影響してるのです。

先日、GRヤリスが、ノーマル状態で、鈴鹿を攻めましたが
まだ、雑誌の発表前なので、数値は言えませんが、スゲー
ラップタイムが出たようです、。
その日は、三栄書房さんが、年末恒例の1日、貸し切りで
某レヴスピードさんの取材でのお話、、。
連れが、参加してまして、驚異のタイムを報告してきました。

GRヤリス、恐ろしや!

そう、アイコードの商品が、、、。
発売が、楽しみじゃの!

チタンEXマフラーや、中間パイプも年明けには、試作が
出来上がってきますので、それから、サブコンのセッティングなど、
テストが、軒並みです、、。

ブレーキパッドも、もうすぐ、出来上がってきます。
粉の出にくく、性能維持するヤツを、、。
どうも、ブレーキパットは、3種類あるようで、
車種の確認しないと、組み付けれん!などと、、!!

エナペタル社には、アイコード製オリジナル車高調12段
元帥調整式サスKITも、年明けに、完成!

何処かの発表された500PS仕様は、夢のまた夢ですが、
360PSくらいであれば、ノーマルエンジンで、ターボも
ファインチューン仕様で、出せそうです!

直ぐに、昔のお話になりますが、アタシが、シグマ(現
サード)時代、1984年、昭和59年に、トヨタ AW
11 初代MR2が、発売された年ですが、オプション誌の
稲田さんと、増刊から作り上げた石黒氏から、提案があり、
このMR2で、

最高速チャレンジを連載しませんかと、、。

でもって、はい!受けますよ!てな感じで、、。
約1年間、アタシは、夜も寝ずに昼寝して、AW11の
4AGのNAエンジンを、ターボ過して、最終的には、
KKK製K27ターボ、と、アタシが手曲げしたステンの
4-1タコ足、アルミEXマフラー、コルベンシュミット
製ピストン、クランクケース加工のピストンクーラー、
加工ハイカム、増量オイルパン、サブコン、
追加インジェクター、自作の排気温度センサー&メーター
など、その後、それらが、全て、ブリッツブランドで
市販化されました。
勿論、電子式ブーストコントローラーなど、、。
そう、HKSさんより、前の時期に、、。

馬力は、エンジンベンチで、当時、360PS/7000
RPM出しました。
ブースト圧は、1,5、、。

それを、AW11に乗せて、何度か矢田部で、取材しました。
最終的には、270m以上出たと思います。

今は亡き、マッドハウスの杉山さんには、フロントリップ、
カーボン&ケプラー製フロントフード、ポリカーボネートの
エンジンフードカーバー、リヤスポイラー、、。
アルミホイールは、AME製ヴァンミューレ、タイヤは、
当時最高のピレリP7、シートは、バケットシートで
当時レカロ製のプロフィーは、50万円位するヤツなど、
当時としては、最先端のパーツをてんこ盛り、、。

絵のドライバーは、稲田大二郎さんです、、。
エアロは、今は亡き、マッドハウス。杉山さんが製作、
当時としては、もろ、レーシングパーツでした、、。
丁度、杉山さんが、当時のグラチャンマシンのエアロ
ボディーを手がけていた時で、最高の仕上がり、、。
フロントフードには、レジエターのエア抜きを、。
リヤエンジンフードは、ポリカーボのキャノピーみたいな
綺麗な、カバーを、、。
ポルシェカレラ6みたいな、、。

リヤスポイラーも、カーボン&ケプラーのレースカー
さながらの、本格的な、、。

ショックは、KYBで特注、、。
バネは、何処かで単品で作りました、メーカーさんを
忘れた、ごめんなさい、、!

同時に、ブリッツターボKITで、販売開始、、。

絵は、ステージ3用で、K26の260PS
使用です、これがKITでの、最高モデルでした。
最高速用は、K27で,360PS出しました。
絵では、まだ、ハイカムも入ってない、ノーマル
カムギヤで、、。
そうそう、スパークプラグは、当時のNGK 名古屋
本社に寄って、レース担当に伊藤さん(今は、退社9
に頼み、スペシャルプラグを出していただきました。

夜明け前の、矢田部の最高速テスト風景、。

途中、ターボオイルラインからオイルが漏れて、火が、。

杉山氏が、空気の流れを見るため、こうやって本格的な、
エアロダイナミックスを追究しました、、。

現在では、1600ccで、ターボエンジンは、300PSが、
当たり前になろうとしてます、、。
が、当時の1984年、36年前の時代です。
1984年式ポルシェ930ターボ 3,3Lで、カタログ値
300PSでした、、。

最高速出すために、某T社の方にも手伝ってもらい、ハイギヤ
の2,7;1のデフギヤを捜してもらったり、ショックは、
当時、カヤバさんで、特注を、、。
当時から、某T社とは、有効関係、、。
ま、加藤社長と、トヨタ7仲間さんの、、。

ターボは、K27といって、当時としては、初代ソアラなど、
3L用サイズを採用、ウエストゲートは、もちろん、
ポルシェ社が採用していたシグマオリジナルの独立型、、。
まだ、KITしては、ブリッツブランド以外、無し、。

クラッチは、ボーグ&ベック社(当時のグラチャンマシン用を
改造のアスベスト製ツインクラッチ)を、シグマのグラチャン
マシンGC73のレース用に在庫してヤツを、、。

水冷インタークーラーは、水タンクをリヤトランク内に
設置し、ポンプで循環、氷を入れました、、。
楽しかったですが、結婚して4年目くらいでしたが、
もうすでに、子供は2人いましたが、家には、寝る為に
数時間滞在!?した感じで、工場に寝泊まりしてました。

その後、社長さんの命令で、東京、調布にアンテナショップ
設立、指導の為、出張、。
毎週末、東名高速、用賀、豊田間を2時間で、、。
で、数年後は、家族を連れて、調布にアパート借りて、。
長男は、地元のカトリック系幼稚園に、、。
次男坊は、まだ、幼稚園も行ってなかった時で、2階に
住んでましたが、窓から落ちました、、。
運よく、死ななかったです、今では元気に会社勤め、、。

3番目の長女を地元の慈恵医大で出産、。
彼女だけ、東京生まれ、。
アタシャ、3人とも、出産には付き合わず、お仕事
してました、、。
そう、昭和の猛烈社員でありました。
ま、亭主は元気で、留守がいい!
全くの、母子家庭でありました。
勿論、入園、入学、卒園、卒業には、参加したこと無し!
記憶では、一度くらい、運動会と、参観日に、兄と弟の
2人の為、どうしても、どちらかに出ろと、家内の命令!、
一度出ました。

ま、こんなもんじゃ! 男は、、!!

つづく。