最近は、生沢氏に何かと可愛がっていただいてますが、先日は、シグマ時代まだ自分が広島の学生で、その当時に参戦されていたGCマシンとその1973年のルマン24Hレースに初の国産マシンでドライバーはエース生沢氏が出場するMC73というを製作するのに手弁当で広島から豊田市に1週間単位で来ておりました。
絵はその時のチーフメカである栗谷氏がドライバー生沢氏のMC73マシンに最後の調整をすべく、ルマンのスタートでのスナップで、大事に持っておられた神奈川在住の方がこれをもって来てくれました。
写真の栗谷氏は数年前病気で亡くなられましたが、その神奈川のその方は当時のマシンを製作された同じ釜の飯をくった仲間の墓参りがまだ出来てないというので、鶴田ならお墓を知っているだろうと思われ、自分に電話連絡されこの度、お墓参りに2人で行ってきました。
その時、彼はこのスナップを持ってこられ、ご遺族に渡してくれと自分に託されました。昔の戦友という感じです。
このMC73はロータリーが載ってまして最近はミニチュアカーの復刻版が出ており、自分も2台購入しました。
それよりもその当時、シグマから一旦人手に渡ったMC73が、その方のご好意でシグマに里帰りしました。
シグマの加藤代表は、気持ち良く”お前に譲る!”と言われ、自分はそのMC73を譲り受けましたが、工場内に置いておりましたある日、その車両は誰かに持ち去られました。自分がちょっと目を離したそのスキに、、。
多分今も何処かのガレージに眠っていると思いますが、どうすることも出来ません。
悲しい思い出のスナップであります。
つづく。